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知っとく健康コラム

ジャジャーン「人類と牛乳の歴史」パート22003/06/14

前回は「人類と牛乳の歴史パート1」ということで、人類が牛乳の利用を始めてから、日本でも公的機関で薬として使われ、そしてあまり利用されなくなる中世までのお話を申し上げました。今回は、日本で本格的に牛乳の利用が始まってから、日本での酪農が大躍進する時代のお話をしてみたいと思います。

八代将軍徳川吉宗公の時代

我が日本国へ、乳専用の乳牛が渡来したのは、江戸時代中期、英名の誉れも高い八代将軍吉宗公の御代でした。この牛は、当時通称関係があったオランダから輸入された、乳用短角種であったのではないかと言われていますが、詳しいことはわかっていません。

海外事情にことのほか関心が強かった吉宗公が、オランダ商館長(カピタン)と相談して輸入し、房州長狭郡細野村嶺岡牧(現在の千葉県嶺岡)で飼育したそうです。「酪酥」という、牛乳を煮詰めたものを製造して、肺結核の薬に使ったり、「熱毒の解消」や「虚損をおぎなう」のに使われていたそうです。「虚損をおぎなう」のは強壮剤ですね、これは。将軍家や高位の大名が食していた、やんごとない食品だったわけです。

十一代将軍徳川家斉公の時代

18世紀末の十一代将軍家斉公は、とても乳製品が好きで、「白牛酪考」という本を作らせたりしています。この本には、乳製品の、「腎虚」「労咳」「産後の衰弱」「大便の閉塞」「老衰からくる各種症状」に効く、という効果効能が書かれています。家斉公が55人もの子供を作るほど精力絶倫であったのは牛乳のおかげと言われています。

どうです?飲みたくなってきたでしょ?

明治政府の畜産奨励政策

時代は下って明治4年、天皇陛下が毎日牛乳を飲んでいるという記事が新聞に掲載されます。政府が率先して牛乳飲用の宣伝を始めたのがこの時代ですね。どんどんと乳用牛が輸入され、明治18年には、現在の主流である白黒まだらの「ホルスタイン種」の牛が、始めて輸入されました。

しかし、牛の肉を食べることと同じく、牛の乳を飲むことにも偏見と抵抗が非常に強く、牛乳は薬として利用されていました。明治時代後期に書かれた私の曾祖父の日記にも、田野村から高知の街へ通い、楠病院で診察してもらいながら「牛乳」を「薬」として飲んでいたことが何度も出てきます。

昭和の初期までは、牛乳は「薬」であり「高価」だったんですね。

約100年で乳牛頭数が800倍に

わが国で乳牛の輸入が本格化したのは明治になってからですが、明治16年(1883年)の国内乳牛頭数は2364頭と記録されています。現在の日本の乳牛頭数は、約186万頭ですので、800倍程に増えたことになります。

第2次大戦後、学校給食制度の整備や、冷蔵設備の普及に伴い、牛乳の消費は飛躍的に拡大しました。搾乳技術も、世界でも有数のレベルに達し、品種の改良も進んできました。牛乳の消費拡大と軌を一にして、日本人の身長や体格が向上してきたのは皆さんご存じの通りですね。

それでも西欧とは桁がひとつ違います!

これだけ劇的に牛乳の消費は増えてきましたが、近年、清涼飲料水等の飲料が増加してきた状況の中で、消費が頭打ちになっています。

ところが現在でも、日本人の1年間の平均牛乳消費量は93kgで、アメリカ人の255kgや、フランス人の368kgと比較しても、桁がひとつ違ってます。

日本には食べ物があふれ、日本人は栄養過多ではないかと思われていますが、実は、カルシウムだけは必要摂取量に達していません。牛乳は一番簡単にカルシウムを摂取でき、一番カルシウム吸収性に優れた食品です。

もっともっと牛乳を飲んで、もっともっと元気になりましょうね!

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