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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

上岡山の朝、冬、来たりなば、夏、遠からじ〔3566〕2013/01/19

上岡山の朝、冬、来たりなば、夏、遠からじ

2013年1月19日(土)快晴!

今朝は高知。昨日の東京、時間の経過とともに冷ようなってくる感じで、シビコオリましたが、今朝の高知がこれまた冷やい。間違いなく氷点下。会社の車は全部白く凍りつき、冷凍庫の中みたい。空気が透き通って、心地良い朝。

ここはいつもの野市、上岡八幡宮参道。
向こうの小山が上岡山。その南東斜面に、八幡様が鎮座ましまします。参道入り口の鳥居を入ってしゅっとのところから撮影。ですき、この上に北斗七星、そのもうちょっと右手に北極星がある、という訳です。

これっぱあ冷やいのでありますが、実は、空はもう夏。
夜明け前、東の空をご覧下さい。こと座のベガとはくちょう座のデネブ。もうちょっとしよったら、わし座のアルタイルも見え始めます。そう。夏の大三角形。アルタイルは彦星で、ベガは織り姫というのはご承知の通り。
こうやって、季節はどんどんと流れていきます。
冬、来たりなば、夏、遠からじ。

さて、一昨日のにっこりで、あの上岡山に、太平洋戦争末期に掘られたトンネルが発見された、という話をご紹介しました。
「硫黄島からの手紙」をご覧になった方は、日本軍が、米軍上陸の際に採用した、地下要塞での防御戦がおわかり頂けると思います。広大な地下要塞を築き、迷路のようにトンネルを掘って基地にした戦い。
もちろん、沖縄戦でも、司令部は地下に建設され、陸軍第32軍司令部は、あの、首里城の山の中につくられちょったのもご承知の通り。

硫黄島からの手紙で、栗林中将が重要視したのが、島の端っこに聳える擂鉢山。標高169m。その山の中に、長期間の猛攻撃に耐えるための要塞を建設しました。もちろん、ここで勝てるとは、聡明な栗林中将は考えておらず、どこまで時間稼ぎができるか、というミッションを自分に課しちょったと思われます。
あの擂鉢山のてっぺんに星条旗を掲げたシーンが、アメリカ人の戦意高揚に役立った、という有名な話もございますが、とにかく、すさまじい籠城戦。

擂鉢山の要塞で抗戦したのは、第31軍、小笠原兵団。沖縄、首里城の山に司令部を置いて抗戦したのは第32軍。
米軍の本土上陸作戦に対応し、高知、介良の鉢伏山に司令部を置いたのは第11師団。通称錦兵団。鉢伏山は、太平洋を見晴るかす標高213mの山。そこに連なる山に、壕が掘られ、トンネルが掘られちょったがは、何度かご紹介してきました。

擂鉢山と鉢伏山。
要塞化するのには、そんな形状の山が、都合が良かったがでしょうか。まだ、上陸までは少し時間があると考えちょったでしょう。あそこで終戦を迎えちょらんかったら、鉢伏山界隈は、縦横にトンネルが掘られた壮大な地下要塞になって行っちょったがかも知れません。

その司令部からは東へ10km近く離れますけんど、海軍航空隊の飛行場が近いので、ここ上岡山も、重要な防衛拠点。友人のタベシマくんの話では、介良、大津の山々、田辺島、そして筆山、高見山に至るまで、市内各所の色んな山に、防空壕とするにはちょっと長すぎるトンネルが掘られちょったりするそうです。子供の頃、そんあトンネルで遊んだそうですき。
本気で、高知で戦争をする気やった痕跡。今となっては誰も知らない痕跡かもしれません。一度、今のうちに調べに入ってみたいところ。


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