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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

伊豆小島、三原山の噴火口と蛭ケ小島〔4689〕2016/02/16

伊豆小島、三原山の噴火口と蛭ケ小島

2016年2月16日(火)晴れ!

今朝は冷えました。このところ暖かかったので、余計に冷ように感じる冬の朝。いや、もう、梅も満開で春でしょうか。今年は少なかった山の雪。四国山地でも、主脈のてっぺんに残るばかりなり。

今日は出張で東京。朝2便目の飛行機に乗って、東京へと向かいよります。
飛行機からは、日本列島の地形を鳥瞰できて、飽きません。こんなお天気で、進行方向左側の窓からは美しい日本の風景がよく見える。富士山もきれいだ。たしかに、地球上で、こんなに美しい山は他に無いかも知れない。日本人の宗教観に、実にぴったりの山だ。富士山。

で、今日は伊豆半島から眺めた富士山と蛭ケ小島の話を書こうかと思いよりましたが、変更。飛行機は、伊豆大島の真上を通りました。伊豆大島の三原山噴火口の真上。なんか、地獄の入り口みたいな噴火口。それが撮影できたので、今日の写真はそれにしました。
伊豆大島。
記憶に新しいところでは、1986年の三原山噴火。全島避難やったですきんね。一ヶ月の全島避難となった、あの噴火は印象的でした。

調べてみますと、あの時の溶岩噴泉の高さは1000m以上。噴煙高度は1万メートルと言います。う〜ん。こんな場所を飛んで良いのか?今噴火したら、飛行機直撃ではないか?などと心配になってしまうような風景。
まあ、1990年の噴火を最後に沈静化しちゅうと言うので、まあ、心配はない。

しかし活動状態にあるのは間違いなく、また、噴火を繰り返す宿命の伊豆大島、三原山。
現在のこの山頂部カルデラ地形をつくったのは、1700年前の大規模マグマ水蒸気噴火にかありません。その大噴火で、火砕流が全島を覆ったと言います。1700年と言いますと、最近のことですきんね。怖い怖い。

ところで。今日は伊豆半島の南を通りました。伊豆半島の向こうに美しい富士山。
で、蛭ケ小島。1159年に平治の乱で敗れた頼朝が流された、という蛭ケ小島。この地名から、伊豆半島界隈の、海に浮かぶ小島を想像すると、間違い。島に幽閉された頼朝、というイメージは間違い。
蛭ケ小島は、伊豆半島の付け根の、山中。江川太郎左衛門で有名な韮山の近くらしいんですね。頼朝は、ここでゆるやかな監視の下、当地の豪族と親交を結ぶながら成長した、というのが正しい認識にかありません。
東の海に出ると、海岸沿いに船で走れば三浦半島はしゅっと。その先っぽから、千葉氏の房総半島も、しゅっと。そんな海を往来しながら、湘南ボーイとして成長したのが頼朝、という説もあります。

頼朝は、そんな湘南の、山と海に囲まれた鎌倉に幕府を置いた。あの狭さは、国の中心機能を置くには、狭すぎる。しかし、防御に優れ、清潔な街、鎌倉から出ることを、頼朝は嫌がったのでありました。

それはともかく伊豆大島。
古くから、土佐と同じく遠流の地。役小角が流されたのも、伊豆大島と言います。
では、頼朝も、蛭ケ小島ではなくて伊豆大島に流されちょったらどうなったんでしょうね。流石に、地元の豪族と親交を結ぶにも障害があったでしょうから、挙兵には至らんかったかも知れない。そうすると、平家の天下は続き、日本の中世は平家本流の天下となっていたのでありましょうか。
まあ、源氏の征夷大将軍は3代実朝で終わり、執権北条氏が実質上の支配者となった鎌倉時代。北条氏は平家ですきんね。
もし、頼朝が流された場所が違うちょって、挙兵に至らんかったら、平家亜流北条氏でなく、平家本流の支配が長く続いたのかも知れません。

ああ。また、妄想が暴走する・・・


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