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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

人が集う仕掛けと商店街と道〔4715〕2016/03/13

人が集う仕掛けと商店街と道

2016年3月13日(日)薄曇り

今日は高知。昨日の最終便でモンてきました。今、高知では「土佐のおきゃく」というイベントを開催中。その中でも、昨日今日の二日間は、商店街全体を巻き込んだ「大おきゃく」。中央公園にしつらえられた巨大桟敷はもちろん、アーケードの中が長い長い延々と続く宴会場になって、老若男女、ホゲかえる「大おきゃく」。
オープンな場所で、誰でもかれでもオープンに、明るいうちから飲んだり食べたりするのが大好きな高知県人のツボにはまったイベントと言えましょう。

写真は、今朝、10時半頃のアーケード。このように畳が敷かれ、宴会が始まるのを静かに待ち構える商店街。こんな商店街、ほかには無いと思います。

今日は日曜日。この北の追手筋では、日曜市。1300mの長さにわたって露店が立ち並び、農産物やら水産物やら食べ物やら植木やら刃物やら雑貨やらなにやらかにやら、様々なものが商いされる日曜市。今日も朝からたくさんの人出。地元民も、観光客も。

こうやって、昔から、人々は道を利用し、道をコミュニケーションの場としてきた。
日曜日が意識されるようになるのは、当然、太陽歴でものごとを考えるようになってから。なので、毎週日曜に市がたてられるようになった、という意味での日曜市は、明治9年を嚆矢とする。場所は、今の電車通り。しかし、電車を通したりするのにマギる、ということで移転が計画され、電車が走り始めるのを機会に明治37年に帯屋町へと移っていった日曜市。
そう。今朝のこの写真の場所に、日曜市。

当時は、もちろんアーケードもなく、病院の多い静かな場所であった、と言います。
この界隈は藩政期には上級武士の大きな屋敷が並ぶエリア。幕末、その向こうの右手に吉田東洋さんの屋敷があり、そのまた向こうの角で、暗殺された、そんな場所。静かな武家屋敷街。
明治になって、病院や学校などの公共性の高い建物が並び、やはり商業の町ではなかった。
そんな街に日曜市を誘致することで、街の活性化を図ったところ、当たりました。日曜市がここで開催されなければ、帯屋町の商店街としての発展はなかったのかも知れない。

その後、帯屋町が商店街として発展していく中で、戦後になってまたまた移設計画が持ち上がり、現在の追手筋で、日曜市が開催されることとなったのでありました。

日曜市がこの帯屋町へ移転してきてから、帯屋町の商店の売り上げは、日曜日と、他の6日合計の売り上げが同じくらいであった、と言いますきに、すごい。日曜日の娯楽は日曜市、という時代であった訳だ。テーマパークですな。
そうか。道は、人が通るところであり、集うところであり、コミュニケーションを図る場所であり、テーマパークなのだ。そう理解すると、この、商店街で「大おきゃく」をやる意味、重要性がわかってくるではありませんか。大袈裟ですが。

妄想ついでに。
毎週、こんな「大おきゃく」や楽しいことをやることにより、帯屋町はテーマパークとしての魅力を取り戻し、再び高知の「おまち」としての立場を取り戻すのではないか。日曜日の集客がものすごいことになり、そこに集う人々によって、また、商店街のお店が繁盛し、盛り上がっていくのではないか。商店には家族が住み、子供が増え、街に活気があふれるのではないか。
妄想かも知れない。
しかし、毎週やったら、面白いと思います。誰がやるのか?という問題はありますが、お金になる、商売になる、という仕組みを構築できれば良い訳で、なんか、高知ならできそうな気がするのであります。
妄想かも知れない。


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