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飛龍梅と飛梅〔5143〕2017/05/15

飛龍梅と飛梅

2017年5月15日(月)良いお天気

一昨日の土曜日、沖縄・奄美が梅雨入りしたとの発表。そうか。もう、梅雨か。
とは言え、高知ではもうちょっと、心地良い初夏の風を楽しまんといかん。去年の梅雨入りは6月4日だった一昨年も、そんな頃
このにっこりひまわりが便利なのは、検索機能でそんなことがしゅっと調べれるところですな。毎年毎年、同じようなことを書いておるのもいかがなものか、ではありますが。

梅雨。元々、この言葉は江戸時代に中国からやってきたと言います。中国の長江流域で、夏前の長雨を「梅雨」と呼んでいた。では何故、そう呼んだのか。黴が生えやすい時期なので、「黴雨」と呼んでおったのが、カビではね、ちょっとね、ということで、同じ読みである「梅雨」になった、という説。
そうではなくて、この長雨の頃、丁度梅に実がなるので、「梅雨」にした、という説。梅の実説の方がキレイなので、そっちにしておこう。

で、日本では「梅雨」と書いて「つゆ」と読む。「ばいう」とも読むけど。
何故「つゆ」なのか。それにはまた諸説ありますな。「露からの連想説」「梅の実が熟す(つはる)時期説」「梅の実が熟して潰れる(潰ゆ)時期説」などなど。
まあ、梅の実関連の説が多いような気がします。

そんな訳で、今朝は梅の実。
写真は今朝、4時過ぎの潮江天満宮。向こうの明かりは拝殿の明かり。そして、飛龍梅に大きな梅の実。いつの間にかこんなに大きくなってました。
この潮江天満宮の参道脇、牛の臥像の横にある梅の木は、飛龍梅と呼ばれてます。樹齢は200年を超えるとか。姿が、龍が飛ぶように見えるので飛龍梅。
潮江天満宮のほとんどの建物は、昭和3年の火災で焼失してます。焼失しなかったのは、幕末、嘉永年間に建てられた立派な楼門。それでも嘉永年間なので、この飛龍梅は、それより以前の天満宮の風景を見てきた古木。

そうそう。太宰府天満宮にも飛龍梅があって、それを潮江天満宮も真似た、みたいなことを書いたことがありますが、間違い。嘘。紛らわしい。
太宰府天満宮の拝殿脇に大きな姿を示しているのは「飛梅」。とびうめだ。
菅原道眞公が太宰府に左遷された後、それを悲しんだ道眞公の家の庭の植物たち。ほとんどは枯れてしまったが、松と梅だけは、主人を追いかけて飛び立つ。びゅーん、と。
松は、途中で力尽きて神戸の近くに降り立ち、今は「飛松岡」となっている。梅はビューンっと太宰府まで飛んでいき、道眞公の住むところに降り立った、という伝説。
道眞公薨去後、太宰府天満宮が創られ、そこに移してきたという飛梅。なので、樹齢はもちろん1000年を超える。

事実は、道眞公を慕う白太夫さんが苗木を持ち出して太宰府へ運び、植えたのが最初ではないか、という話も、ある。白太夫さんは、道眞公薨去後、道眞公の遺品を、嫡男菅原高視さんが住む土佐まで運んできた人物だ。どっかで、つながっている。

ただ、太宰府天満宮の飛梅は白梅で、この飛龍梅は紅梅。苗木かれこれとは関係なく、200年以上前の熱心な氏子さんか誰かが、ここに梅の木を植えたんだろうか。道眞公ゆかりの、梅を。

気になるのは白太夫さん。
遺品を土佐へ届ける時、遺愛の梅は、持って来んかんたのだろうか。持ってきた形跡は、今のところ見当たらない。
その変わり、土佐に左遷されていた嫡男高視さんの乳母が、道眞公遺愛の八重の白梅の株を、太宰府より持って来てます。白太夫さんと同じく、高視さんちまでたどり着けず、弊社の近くの立田で病没。その遺愛の八重の白梅をお祀りしたという天満宮は、今も立田に鎮座まします。
もし、その白梅が今も残っていたら、ひょっとしたら、飛梅の株分けだったのかも知れません。


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