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(2008年6月9日〜2008年6月18日)


[1881] ヤマモモの実、高知県の花 - 2008/06/09(Mon)
2008年6月9日(月)蒸せますな、晴れです
今日は良いお天気。ちくと蒸します。が、鏡川沿いには風も吹いて、梅雨の晴れ間の爽やかさを感じることはできます。
今、天神大橋と潮江橋の間の南岸には、アメリカ梯梧(でいご)の赤い花が咲き乱れて見事。あっという間にこの堤防上が真っ赤っかになってしもうたですね。ついこないだまで、キレイなつるっ禿げ状態になっちょったこの南方系の木。それがあれよあれよという間に葉っぱ密生状態になり、赤い花だドバッと咲きました。しばらくは楽しめそうです。
ところでここはいつもの潮江天満宮。本殿北側の、大山祗神社へ登っていく参道。そこから見上げると、ヤマモモの実が成り始めちょりました。ここにヤマモモの木があることを意識しょちょかんと、普通は気付かんでしょうな。実が成りゆうがはトッと高い所ですきに。ひまわり太郎はいっつも注意しよりますきに、気付きました。先週の段階では、まだ緑色した小さい実やったですけんど、今朝はもうご覧の通り。赤うに熟してきました。
このヤマモモ、「高知県の花」であります。いや、妙に違和感がありますが、「高知県の花」。皆さん、ヤマモモの「花」てご存じですか?たぶんメッソ知られちゃあせんと思います。春前頃に、放射線状に伸びた葉っぱの真ん中にモコモコモコっと出てくるやつ、あれが花なのであります。この「実」の鮮やかさに比べて何と地味なことか。お隣の徳島では、ヤマモモは「県の木」だそうで、こっちの方がわかりやすいですな。けんど、高知県の「県の木」はヤナセスギですきに、割り込む余地がなかったので、「県の花」にしたがでしょうか。
ここは、いっそのこと、高知県の「実」ということで認定してみたらどうながやろうか、と妄想を始めた梅雨の晴れ間の潮江天満宮でした。

[1882] 上岡八幡宮の紫陽花、雪の下科 - 2008/06/10(Tue)
2008年6月10日(火)曇ちょりますね
今朝は南国工場。で、いつものように野市の上岡八幡宮に来てみました。この参道にも、ご覧のように鮮やかな紫陽花が咲いちょりました。今、あちらこちらで様々な紫陽花を楽しむことができます。こないだのにっこりでご紹介したがは鏡川沿いの萼紫陽花ですが、今朝はオーソドックスながをご紹介しましょう。
これぞ紫陽花。ザ・紫陽花、という感じの色と形。
こないだも書きましたですけんど、この水色の部分は花びらぢゃあ無うて萼(ガク)。
花はと申しますと、この萼の真ん中のポチっとしたコンマイ部分。こりゃあ普通知らんですよね。こぢゃんと勉強になるにっこりひまわりです。
勉強ついでに言いますと、紫陽花は、実は雪の下科ながです。ユキノシタの仲間ということですね。これも知らんかったですな。ユキノシタと言うたら、日陰の地面とかに生えちゅう葉っぱ。天ぷらにしたら絶品の、野草の女王様ですね。今の季節、どこへ行っても見ることの出来るこぢゃんとポピュラーな野草ですな。昔、ひまわり太郎は、学生時代に野草を食べるサークルにも入っちょりました。色んな山へ出かけていって、珍しい野草とかを採取して、色んな味付けの料理をして楽しむ、というなかなかワイルドな集まりやったがです。見たこともないような野草を採取し、先輩に食べれるかどうか教わり、生で味わいつつ料理を考える、という作業をびっしりギッチリやりよりました。懐かしいですね。その頃、ユキノシタと言えばあまりにポピュラー過ぎて、マニアを目指す我々はメッソ食べんかったような記憶があります。
「野草」と書いてきましたが、この日曜日、高知の神田界隈をたつくりよって、畑でユキノシタを栽培しゆうクを見つけました。例の、アオダイショウを発見したしゅっと横です。栽培しゆう農家もあるがですね、ユキノシタ。

[1883] 南国市、斉藤牧場にやまけんさんが来ました - 2008/06/11(Wed)
2008年6月11日(水)曇ったり降ったり
今日はですね、昨年の6月3日に週刊アスキーという雑誌の取材で高知を訪れ、このにっこりでもご紹介した山本健治さん、通称やまけんさんが、再び高知へ来てくれちょります。日本の食と農のスペシャリスト。つい先日「日本の食は安すぎる」という本を出されて、なかなかの売れ行きのようです。その、日本の農業と食に関する洞察は鋭く深く、ホントに勉強になります。
今回は、前回の取材でも訪れた、ここ斉藤牧場がお目当て。「日本の食は安すぎる」でもご紹介いただいたこの牧場、日本の「山地(やまち)酪農」の聖地とも言うべき場所なのであります。
今日はあいにくの曇り空やったですけんど、この牧場からは高知の平野や太平洋がが見晴らせます。昭和40年に斉藤さんはこの山に入られました。道をつくり、森林を切り開いてつくられたこの牧場は、斉藤さんの血と汗と涙の結晶ながです。ここの牛は、何世代もここで育ってきた、ここの牧場の独自の種である、というてもエイくらいの牛。ホルスタインながですが、こぢゃんと急峻な牧場の斜面を歩き回りゆうので、かなりスマートで、乳房も小さめ。けんど、これ以上幸せな牛が居るでしょうか。
春夏秋冬、朝も夜中も、一日2回の搾乳時以外がずうううっとこの山を自由に歩き、休み、牧草を食べ、眠りゆうのであります。
この牛から搾られる生乳の量は、普通の酪農さんで飼われゆう牛の約半分。ですけんど、高騰の続く輸入飼料に頼らないこの牧場は、今、ひょっとしたら一つの理想型かも知れません。
が、斉藤さん曰く、苦労をしちゃあせん今の若いヒトは、なかなかこんなことはようせんねえ、とのこと。そりゃあそうです。ものすごいですね、この牧場は。日本に「山地酪農」を名乗ってやりゆう牧場は多いですが、これほど徹底しちゅうホントの山地酪農は他に例を見んがやないでしょうか。理想型ではありますが、ダレマワリようせん、ものすごい酪農が、日本の至宝、斉藤牧場ながです。その生乳を扱わしてもらいゆうひまわり乳業も、こぢゃんと幸せな乳業メーカーなのであります。

[1884] 鏡川南岸のディズニーランド - 2008/06/12(Thu)
2008年6月12日(木)曇っちょりますね
今日は晴れるそうですけんど、朝の時間はまだ曇っちょります。
ここはいつもの鏡川沿い。天神大橋南詰から堤防の上の道を西進し、鏡川に流れ込む小川の橋を渡った界隈。右手に見えゆうがが潮江天満宮の森で、中央に天神大橋の赤い欄干が、その向こうにトップワン四国が見えよります。
この、鳩が群れゆう空き地に、ひまわり太郎が小学生の頃、トランポリン場があったと記憶しちょります。露天のトランポリン場。たまに、追手前小学校の友人たちと遊びに来ました。当時、トランポリンなんぞというものはこぢゃんと珍しく、面白かったですね。
が、当時も今と同じように地面はコンクリートで、今考えたら結構危険な感じやったです。事故は起こらんかったがでしょうか。
ここから西へ堤防の道を歩くと、南国橋がありまして、そのまた西にこどもの国がありました。南国橋の欄干はこぢゃんと低うて、慥か50cmくらいしかなかったと思います。我々子供は、その欄干の上を牛若丸のように歩いてそばえたもんでした。
こどもの国は、当時の高知の子供たちにとって、夢のようなあこがれの遊園地。何というたちジェットコースターがありましたし、鏡川の対岸まで行って帰ってくるロープウェイもありました。そう言えばちんまいプラネタリウムもあったですよね。当時の高知の子供のあこがれは、大丸の屋上、土電会館屋上、そしてこどもの国でした。そして、丁度この対岸あたりにタンマにやって来たサーカス。
鏡川、天神橋から南国橋、沈下橋にかけては、高知の子供達にとってはディズニーランドのようなエリアやったのであります。

[1885] 潮江天満宮のクチナシ、南国産業科学大博覧会 - 2008/06/13(Fri)
2008年6月13日(金)こぢゃんと晴れました
今日はこれまた素晴らしいお天気。夏空の広がる高知県地方。
2007年の6月12日のにっこりを見てみますと、潮江天満宮のくちなしの花をご紹介しちょりました。それから1年と1日経過した今日の朝、くちなしの花はご覧のように咲いちょりました。丁度今時分、くちなしは、白い花、「おまえ」のような花を咲かせるのであります。
さて、昨日、鏡川南岸のディズニーランドについて書きました。で、キチンと調べてみましたら、こどもの国が出来たがは昭和41年。南国産業科学大博覧会という大きなイベントが開催されて、それに合わせてつくられた遊園地。
記憶よりも、ちょっと西側に、その遊園地はあったようです。この、くちなしの花の咲く潮江天満宮本殿界隈から、競輪場を挟んだ丁度反対側。当時の写真を見てみたら、あのものすごかったジェットコースターもちゃちなもんですね。が、あの頃はものすごいアトラクションでした。こどもの国は、昭和49年3月までの営業やったそうですきに、たった8年間しか存在しちゃあせんがですね。ひまわり太郎が5歳から13歳の間ですき、ちょうどボッチリ、この遊園地で遊ぶど真ん中の世代と言えましょうか。
ひまわり太郎、この昭和41年の博覧会、覚えちょります。くっきりはっきり覚えちょります。ものすごい人出で、ごった返しちょりました。このとき、生まれて初めてチョコで包んだレーズン、チョコレーズンという食べ物を食べてエライ感動したがが一番の想い出です。
高度成長期のニッポンの、その科学の発展を象徴する博覧会でした。もう、あんな熱気を体感することはできんでしょうね。

[1886] 安並の水車、紫陽花、野中兼山さん - 2008/06/14(Sat)
2008年6月14日(土)中村は晴れちょう
昨日の午後から中村へ来ちょります。四万十市中村。ひまわり乳業中村工場のある中村。で、中村に泊まったらお約束は四万十川ラン。今朝も、市内のホテルを出て、四万十川赤鉄橋を渡り、右岸を佐田の沈下橋までのったりまったり走りました。こぢゃんと心地よい、大自然満喫の四万十川ランは、中村出張の一番の楽しみ。佐田の沈下橋界隈は、昨年くらいから、観光屋形船みたいながが突然増えてきましたです。四万十川観光は、やっぱし人気衰えず、ですな。
佐田の沈下橋から左岸を市内へ走りよりまして、途中で、安並の水車界隈が、今、紫陽花満開でこぢゃんとキレイらしい、ということを思い出しました。
そこで、東へルート変更し、後川沿いの堤防を走って安並へ。橋が少ないので、エラい遠まわりをしてしまいましたが、美しゅうございました、安並の水車。
この水路は、藩政期初期に名執政野中兼山さんが開鑿した灌漑用水で、この周辺の4つの村を貫通させて広大な農地を開いた、ということで「四ヶ村溝」と呼ばれよったそうです。この農業用水沿いに、紫陽花をたくさん植えちょりまして、今が一番の見頃。朝もとうから、観光に来ちゅう方もいらっしゃいました。
ところで、こないだ6月3日のにっこりにも書きましたが、高知県内のあじさい名所と言われる所は、野中兼山さんに関係をある場所が多いようです。これに気付いたがは私、ひまわり太郎が最初ぢゃあないでしょうか。ここ四ヶ村溝もそうですし、最近有名になってきた野市、父養寺の物部川土手1.2km、18000株の紫陽花も、土手の東側の水路は野中兼山さんによるもの。高知で一番有名な春野のあじさい街道の水路も、野中兼山さんが灌漑のために開鑿した新川川に関連する農業用水。
野中兼山ーあじさい街道関連説を、ちくと研究してみろうかと思いよります。いや、単に、水量の多い水路脇に紫陽花が咲いちょったらキレイなので、皆さんが植えただけのことながでしょう。が、高知県内の農業用水のルーツを探ると、ほとんどが野中兼山さんに行き着く、というがも事実ながでしょう。

[1887] 牧野植物園の山紫陽花 - 2008/06/15(Sun)
2008年6月15日(日)小雨
今朝は高知。小雨がパラつきゆう高知市の朝。
昨日、四万十市、安並の水車と紫陽花をご紹介しましたので、今朝は見事な山紫陽花(ヤマアジサイ)をご紹介しましょう。
最近、五台山の牧野植物園の下の段の改修工事が完成し、こぢゃんとバージョンアップしちゅうがはご存じですよね。で、この梅雨の季節、ものすごい種類の紫陽花が道端やら植え込みやらに咲いちょりまして、それはそれは見事なのであります。たぶん、今が一番の見頃。お天気が良くない、ということで牧野はやめちょこうか、てな考えの方が多いがでしょうか、雨が降るとお客さんも少なく、日曜日でもてっぺんの駐車場に車を停めれそうです。
が、雨の中の紫陽花の群れは素晴らしいです。
なかでも、萼紫陽花みたいに見える山紫陽花が絶品。園芸品種も多いということで、その種類と色の多彩さは、他を圧倒しよりました。
朝の牧野まで駆け上がったひまわり太郎は、花を楽しんだ後、いつものように「お馬路」を駆け下りて青柳中学校の界隈へ。よさこい節に歌われたお馬さんが、純信の勤務する竹林寺南坊へ通うた路。途中、鷺のコロニーの真下を通過しますが、ここは何十何百の鷺が巣をつくって群れゆうすさまじいコロニー。ものすごい喧噪ですね。そこから少し下ると、麓まではスモモの畑が続きます。五台山を下から眺めると、ブドウ畑に似た、けんどちくと違う、何かの畑がたくさん有るがが判ります。あれ、スモモやったがですね。お馬路の両側に広がるこの畑には、今、赤く熟したスモモがどっしこ。丁度収穫時期を迎えちゅうみたいです。おいしそうでした。そう言えば、近所の家の庭の無花果が、もう、実をつけ始めちょりました。熟すのはこれからですけんど、季節はどんどんと移ろうていくがですね。自然はすごい。

[1888] 雨上がりの潮江天満宮参道 - 2008/06/16(Mon)
2008年6月16日(月)晴れ!
今朝は、6時を過ぎてから、お日様が顔をのぞかせ始めました。雨上がりの町が朝日に輝いて美しゅうございます。花でも町並みでもそうですが、雨上がりがキレイですよね、まっこと。
この潮江天満宮の雨上がりの参道も、いつもながらに美しゅうございました。手水舎から天神大橋の方へ数えて2つめの鳥居の下から、天神大橋方面を撮影しちょります。参道脇の木々は夏の風情で鬱蒼としてきました。雨に洗われてキラキラ輝く参道の景色が好きです。
手元に、昭和27年のこの参道の写真があります。その当時、この参道には市営のバラック住宅がずらりと並んじょります。
戦災で焼け出された方や、家を失った引き揚げ者用の住宅らしいです。いくらなんでも参道ですきに、応急の仮設住宅ということやったがでしょう。高知市が復興するにつれて、取り壊されていったものと思われます。が、昭和27年というたら、戦争が終わってから7年経過しちょりますが、高知の街にはまだまだ戦争の後遺症が残りまくっちょりました。当時の写真の、鳥居の扁額の向きから想像するに、市営仮説住宅が並んじょったがは、この写真左手、玉垣と参道の間と思われます。いや、ひょっと違うちょったらすびばせん。ご教示ください。板壁の平屋建てでトタン葺き。ですけんど、その家の前、つまり参道で遊ぶ子ども達の表情は底抜けに明るく、復興に向けてのエネルギーと人間のバイタリティを感じさせてくれます。現在のネット社会の子ども達を見るにつけ、どの時代の子ども達が本当に幸せを享受しゆがか、考えさせられます。
そう言えば、潮江天満宮の輪抜け様は毎年6月30日。近づいてきました。フェスティバル土佐鏡川まつりが無いなった今、鏡川界隈のお祭りと言えばやっぱし輪抜け様。神社は今でもそこに住む人たちにとって、こぢゃんと大切な場所ながです。

[1889] JRの高架から比島を眺める - 2008/06/17(Tue)
2008年6月17日(火)晴れ!
夏の雲がモクモクと空を覆う、梅雨の晴れ間の暑い日です。
今日は出張で広島へ向かいよります。土讃線の、大自然のなかをのったりまったり走る車両の中で、このにっこりを書きよります。エイですね、土讃線。四国山脈の山間を縫うように走る土讃線。この線路をつくったヒトは偉かった、と、いっつも思います。
高知駅が高架になって、もう、4ヶ月が経過しようとしよります。皆さん、利用されましたか?
いまだに、高架の線路から見る景色は新鮮で、面白いですな。高知駅を出て、ちょっとだけ東へ行った特急南風の車窓から撮影したのがこれ。
眼下に住宅が建ち並び、向こうに比島の大きなマンションが見えよります。今、改修工事をやりゆう最中みたいです。あの巨大なマンションは、比島の山に覆い被さるように建てられちょります。できたときはビックリしたですよね。比島は、山崩れとかの発生しやすい山で、ひまわり太郎が子どもの頃にも大きな山崩れと火災で大きな被害が出ました。その当時の新聞記事には、この山は崩してしまうしか有効な防災の方法は無いかも知れん、みたいなことが書かれちょったがを覚えちょります。その山の盛り上がりを利用して、巨大マンションができたのは、防災面からもなかなか良い判断やったかも知れません。
昔、中世の頃、今の高知市の市街地はほとんど海でした。その海に浮かぶ大きな島が7つ。浦戸湾七島ですね。今の五台山の「大島」、そして今も小山として残っちゅう「葛島」「田辺島」、地名だけしか残っちゃあせん「洞ヶ島」、山の芯だけが残されて記念碑だけになっちゅう「竹島」、今もちゃんと海の中に島として残っちゅう玉島、そしてマンションになってしもうた「比島」です。
この比島の近くに「中比島」というバス停があります。今、この周辺は再開発で、新しい道ができたりバス停が移動したりしよります。昔、中比島で使われよった停留所標識がありましたが、新しい標識ができたので必要無いなりました。そこで、「中比島」の「比」を何とか消して、土佐市の「中島」というバス停に再利用されよります。2007年4月22日のにっこりでご紹介しちょりますきに、バックナンバーからご覧になってみて下さい。消したつもりの「比」が、まだかなり読めるくらい残っちゅうがが嬉しい標識です。

[1890] 今年もサフランモドキが一輪、潮江天満宮参道 - 2008/06/18(Wed)
2008年6月18日(水)晴れちょります、暑い!
そんな訳で今朝は高知。昨日、出張で広島へ行っちょりましたが、宴会の後、汽車に乗ってモンて来ました。高知駅に帰り着いたら日付が変わっちょりました。午前0時3分着。岡山からの南風車内で爆睡しましたですけんど、結構コタイますな、こりゃ。あんましダレコケちょったので、高知駅の北口からそのまんまタクシーに乗って家まで帰ったところ、南口から乗ったがに比べて300円ばあ高うございました。ダレコケちょっても南口から乗らんといけません。
さて、ここはいつもの潮江天満宮参道。手水舎の北西の、参道脇の玉垣から、ご覧のサフランモドキが顔をのぞかせちょりました。不思議です。毎年、この場所に一輪だけ、ホントに一輪だけ、玉垣の間からニューっと伸びる花が咲きます。2004年8月27日と2007年6月26日のにっこりで、この場所に一輪だけ咲くサフランモドキをご紹介しちょります。ここが生育に適しちゅうがであれば、もっとどっしこ咲いても良さそうながですが、いっつも一輪だけ。と、思うて眺めよったら、しゅっと向こうに蕾がひとつ。間もなく咲きそうですきに、今年は二輪並んだサフランモドキが楽しめそうですね。
この「サフランモドキ」は、ペリーが黒船に乗って日本へやって来る7年前、1846年頃に日本へ初上陸したがやそうです。最初は、この「モドキ」の方がサフランと呼ばれよりましたが、ホンモノのサフランが同じく幕末に日本にやってきて広まると、「サフラン」の座を明け渡して「モドキ」が付くようになったとか。
今では結構あちこちで見ることができますですね。このにっこりひまわりでも5回くらいはご紹介しちゅうので、ひまわり太郎の目に入りやすい花ながかも知れません。梅雨時分に咲くので、一層、このピンクが鮮やかに見えるがでしょうか。

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