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バックナンバー (27)
(2004年1月2日〜2004年1月11日)
| [261] 高知城 1月2日の日の出 - 2004/01/02(Fri) |
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2004年1月2日(金)今朝も快晴〜
昨日は元旦で走れませんでしたので、ひまわり太郎、今朝が走り初めになりました。どこを走ろうか迷いましたが、年の初めはやはり高知城と思い、鏡川を遡行、潮江天満宮をお参りして高知城を走って来ました。
お正月はいつもと少し雰囲気が違うちょりますね。観光客の方も多いですし、何となくゆったりとした開放感があります。
写真は、二の丸からの天守閣と朝日の素晴らしい眺め。そして、朝日に向かって走るひまわり太郎ですね。 |
皆さん素敵なお正月を過ごしていらっしゃいますか?もちろんお仕事の方もおいでですが、お正月の雰囲気ってえいですねえ。最近は元旦からお店を開ける店が増えて、元旦の、シーーーンっとした静けさは薄れてきましたが、それでもお正月はお正月です。
ひまわり太郎、昨日は実家でおせち料理とお雑煮をたらふく食べ、昼間っからお酒を飲んで良い気分になっちょりました。お正月に気を付けんといかんがはカロリーオーバーと飲み過ぎ食べ過ぎ運動不足ですね。朝は早うから起きて運動するのを心掛けましょう! |
| [262] 1月3日 南国工場 - 2004/01/03(Sat) |
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2004年1月3日(土)またまた快晴!
今日は1月3日。今日までが一応お正月としたものでしょうか。今年は4日が日曜日なので、5日からお仕事の会社が多い様ですね。
このお正月、本当にお天気に恵まれました。今日も快晴ですし、明日もとてもお天気良さそうです。嬉しいですよね、お正月に天気が良いのは。 |
ひまわり乳業南国工場は、高知県南国市(高知市の東隣、高知空港のある市)の東端、物部川沿いに昭和40年に建設されました。言うまでもなくひまわり乳業の商品の殆どを生産する主力工場ですね。
この工場、昭和40年の操業当初から、生乳の受入れと加工については元日も休まずにやっておりました(牛さんは休まないので)。近年は、元日から開けるお店が増えたせいもありまして、元日も一部商品は充填するようになりました。今日3日はもう本格的操業状態です。
写真は、今朝の南国工場。右手のトラックの停まっている建物が低温物流センターで、併設して事務所があります。その手前の緑の畑が「ケール」の試験圃場で、向こう側にメインの製造充填工場が見えちょります。写真には写っちょりませんが、メイン工場の右にデザート工場、左へ行きますと粉乳設備、ペットボトル製造ライン、冷凍倉庫、常温倉庫と続きます。見学も受け付けちょりますんで、お気軽にお申し込み下さい。
結構広いですよ。 |
| [263] 土佐の日曜市 - 2004/01/04(Sun) |
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2004年1月4日(日)快晴!
今朝もよう晴れちょります。えい正月でした。
今日は今年最初の日曜日で、名物土佐の日曜市も今日が初売り。まだお正月ということもありまして、今日のお店の数はいつもよりだいぶ少なかったですね。それでも、野菜、お寿司、芋天、衣類、刃物、骨董品、盆栽、果てはペットに至るまで、本当に様々なものが売られよります。ぶらぶらするだけで楽しいですよ。
土佐の日曜市は、高知城の追手門から東へ、約1.3kmの路上に700軒のお店が建ち並んじょります。この通りは「追手筋」。写真のずうっと向こうに微かに高知城天守閣が見えるのが判りますか? |
この市の始まり、元禄年間の1690年に遡ると言われちょります。この年、城下で定期市が開かれるのが認められたのであります。場所は、上町本丁。今の電車通り上町界隈ですね。その後江戸期を通じて市内数カ所で露天市は開かれて来ました。そして明治9年、本町の武家屋敷通り、今の電車通りに「日曜市」として本格的に始まったがです。その後、明治36年に路面電車が走り始めたので、北側の「帯屋町」に移転します。さらに戦後、今の追手筋に移転、拡大して現在の姿になったがですね。
高知へ観光に来られた方には、絶対オススメのスポット、ひまわり太郎が自信を持ってオススメするのが、この「日曜市」であります。 |
| [264] 潮江橋の電車と五台山 - 2004/01/05(Mon) |
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2004年1月5日(月)快晴
おはようございました!
今日は1月5日。今日から仕事始めの会社も多いみたいですね。今朝、いつもの様に潮江天満宮へ寄っちょりましたら、いろんな会社の皆さんが今日から仕事始めということで会社ぐるみでお参りに来ちょりました。今年の無事と発展を願ってのことですね。きっと素晴らしい年になると思います。
さて、写真は、鏡川下流域に架かる潮江橋を渡る電車です。電車の窓を通して、日の出前の五台山が見えるのが判りますか?2本のテレビ塔が目印です。 |
昨夜、テレビで、「どら平太」という市川昆監督の痛快時代劇の映画をやりよしましたので、ひまわり太郎もぼんやりと眺めておりました。突然、ハタと思い出し、気付いたのであります。にっこりひまわり[231]で、この五台山に眠る「伊達兵部」が登場する伊達騒動を描いた小説「樅の木は残った」の作者を、私、何を勘違いしたのか海音寺潮五郎先生と書いていた事に突然気付いたのです。
そう、「樅の木は残った」は、山本周五郎先生ですよね。このにっこりひまわり、あまり資料を見んずくとに、うろ覚えで書いたり勢いで書いたりしよりますもんで、時々大間違いを書いてしまうことがあります。間違いに気付かれましたら、皆さんもご指摘下さいね。
NHK大河ドラマになったので混同してしまいました。海音寺潮五郎先生の大河ドラマになった小説は「天と地と」。これも格好良かったですねえ。信玄もさることながら、上杉謙信の格好良さは、もう、反則に近いものがありました。 |
| [265] 立志社跡 - 2004/01/06(Tue) |
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2004年1月6日(火)晴れちょります
昨日が仕事始めの方も多かったと思いますが、いかがですか?正月のお酒が体内に残っちょりませんか?運動で吹き飛ばして、元気に頑張りましょう!
と、いうことで、今朝は早朝から市内中心部をたつくりました。写真は、新京橋の中央公園東入り口付近に建つ「立志社」跡の記念碑。
立志社は、征韓論に破れ、下野した板垣退助を中心に、片岡健吉らが参加して明治7年に組織された政治結社ですね。この立志社が、日本の自由民権運動の出発点であり、総本山でもありました。「自由は土佐の山間より出づ」の言葉通り、ここが、この場所が出発点だった訳です。 |
この運動が引き継がれ「海南自由党」の結成に繋がり、国会期成同盟から「自由党」結党へと時代は流れていくのであります。
向かって右の碑は昭和27年に建立、左手前の碑は平成3年に建てられました。
私事で恐縮ですが、今朝、この左側の碑の後ろを見てビックリ。「伊藤丘城書」と書いちゅうではありませんか。この文字を書いたのが、書家の伊藤丘城先生だったのです。この先生、私の高校の書道の先生でした。な、懐かしい!
私は自慢ではありませんが、字が下手です。書道の成績は散々でした。
あるとき、ひまわり太郎、まぬけな事に右手の薬指を骨折し、ギプスをせんといかんなりました。右利きのひまわり太郎は、その学期、仕方が無いので左手で字を書きました。もちろん書道の授業で書いた作品も左手の作品ですね。
成績は、右手で書いた時より良くなっちょりました。とても複雑な心境でした。 |
| [266] 三角パックの謎 - 2004/01/07(Wed) |
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2004年1月7日(水)またまた快晴
今朝もよう晴れました。早朝から南国工場へ来ちょります。写真は、午前5:30頃の200mlパックの充填ラインですね。2台の200mlパック充填機がフルに稼動しよります。
南国工場では、100アイテムを越える商品を毎日毎日製造しよります。詳しくは、このHPの商品案内をご覧頂ければわかりますが、この充填室では、この200mlパックの他、1000ml、500mlの紙パックと200mlのビン商品が詰められよります。
この200ml紙パックは、ブリック型と申しまして、長方形の箱形容器でございます。自動販売機なんかでよく見かけるやつです。この容器、仕組みを簡単に申せば、紙を筒状にした中へ牛乳などの液体を流し込み、途中を切断して四角く成型するものです。従いまして、容器の中に空気がまったく入りません。 |
昔、三角パックがあったのを覚えちょりますか?実は、あれが、このブリック型の先祖なのです。少し実験してみましょう。
お手元に紙(普通のもので構いません。例えばA4の紙)を準備して頂き、縦に長くなる様に丸めて筒を作ります。両端をテープで止めるとやりやすいですね。そして、上から2cmくらいのところを右手の人差し指と中指で、完全にぺったんこになるように挟みます。さあ、そのまま、その4cm程下の部分を、左手の人差し指と中指で、右手で挟んだのと直角になるように挟んで下さい。いかがです?
右手と左手の間に三角パックができちょりませんか?
スウェーデンで考案されたこの方法が一世を風靡し、世界中に広まったのが昭和40年頃でした。
なんであんな三角の形をしちょったがかお解り頂けましたか?理由がちゃんとあったんですね。
今のブリック型は、直角に挟まずに平行に挟んで切断し、箱形に成型したものです。くっついている部分をはがしていくと枕みたいな形になるでしょ?
こういった箱形への機械成型ができなかった時代は、直角にちょんぎるだけの三角パックでしたが、今は機械が進歩して、現在のような形になった訳です。
ちなみに、この直角に挟む方法を思いついたのは、スウェーデンの、この充填機メーカー創業者の奥さんだそうです。ちょっとしたことですが、天才ですね。 |
| [267] 四万十川の夜明け - 2004/01/08(Thu) |
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2004年1月8日(木)快晴
今朝は出張で中村。ご存知高知県西部の中心都市(都市と言いましても人口4万人くらいか?)で、四万十川河口に広がる小さな町です。ひまわり乳業中村工場がありますね。
車ですと、途中まで開通した高速道路を使いましても高知市から2時間半かかってしまいますので、ひまわり太郎は普段JRを利用します。高知から窪川までがJR四国、窪川から中村までが第三セクターの土佐くろしお鉄道ですね。ところが先月、この土佐くろしお鉄道の窪川と土佐佐賀の間で土砂崩れがあり、復旧の目処が立たずに未だ不通となっちょります。と、いうことで、切符は中村まで買うのですが、窪川から中村まではバスでの代替輸送になっちょります。少し時間がかかりますがなかなか楽しいです、はい。 |
中村へ出張で来ますと、早朝四万十川沿いを走るのがお約束になっちょります。素晴らしいですよ、この川は。雄大な自然のなかをゆったりと流れる大河で、自然満載です。今朝は、中村市大橋通という中心部に所在するひまわり乳業中村工場をスタート、有名な赤鉄橋から、佐田の沈下橋まで走って来ました。13kmくらいでしょうか。写真は、佐田の沈下橋の日の出。きれいでしょ?
もう、この辺りは周りを山に囲まれ、様々な鳥達や多くの生き物が棲息する、大自然ど真ん中です。 |
| [268] 天神大橋の満月と鷹匠町 - 2004/01/09(Fri) |
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2004年1月9日(金)快晴
今朝は高知にモンちょります。快晴。清々しく透明に澄み切った空気が身体を引き締めてくれます。気持ちいいですね。
写真は、今朝の天神大橋です。上空に見事な満月が輝いております。天神大橋の赤い欄干に映えてとても美しい情景でした。
満月と鉄塔の間に飛んでいる鳥は「鵜」ですね。スピードのある直線的な飛び方をするので、すぐ判ります。この鏡川にはたくさん生息しちょります。 |
満月の下辺りの街は「鷹匠町」。藩政期、ここに藩主の御鷹部屋がおかれて、狩りで使用する鷹が飼育されちょりました。鷹匠も一緒に住んでおったことからついた町名が「鷹匠町」。
幕末頃には藩主の散田下屋敷(さんでんしもやしき)が建てられて、たくさんの上級節が居住しました。西郷隆盛と山内容堂が会談したのもこの散田下屋敷ですね。
その西側には、土佐藩主山内家ゆかりの「山内神社」が鎮座しちょります。近年山内容堂公の銅像が完成しましたね。この神社、実は明治になってから祀られたものなんです。これはあまり知られてませんよね。 |
| [269] 紀貫之邸跡 - 2004/01/10(Sat) |
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2004年1月10日(土)晴れ
今日も南国工場へ来ちょります。よう晴れちょりまして、とても気持ちのえい土曜日ですね。
ひまわり乳業南国工場のある南国市は、その昔土佐の国の中心が所在したところです。なかでも奈良時代から平安時代にかけては、立派な寺院や国の役所が立ち並んだ賑やかな場所でした。今ではご覧のようなのどかな田園風景が広がる素敵な場所になっちょりますね。
写真は、奈良時代から平安時代にかけて、土佐の国の国司(今の県知事のようなもの)の館が在ったと伝えられる場所です。その当時の国司は、中央政府から派遣されちょったがですね。その官舎です。 |
ここがその館の跡という証拠はないのですが、地元での言い伝えと、ここのホノギ名が「ダイリ」(内裏か?)という地名であることから、ここが館であるとして、地元の皆さんがきれいに整備しております。でも、この場所、観光パンフレットでは「紀貫之邸跡」という紹介のされかたをしちょります。
そう、土佐日記で有名な紀貫之さんですね。確かに紀貫之は、西暦930年から4年間、土佐国司を務めちょりますので、国司の館に住んだのは間違いございません。と、言う訳で、古今和歌集を編纂した紀貫之にちなんで、ここには短歌や俳句の立札や句碑がたくさん並んじょります。
京から連れて来た愛娘(6歳くらい)を、都へ帰る直前に急病で亡くし、その悲しさを歌った
みやこへと おもふを ものの かなしきは
かへらぬひとの あればなりけり
という有名な歌の歌碑もあります。
また、写真左下の「紀貫之邸跡」と書いたポールの向こう側に建つ石柱には、高浜虚子の
土佐日記 懐にあり 散る櫻
という素敵な俳句が刻まれちょります。
静かでのどかで柔らかい空気の流れる素敵な場所です。一度行ってみることをおすすめします。 |
| [270] 高知城の高知らしさ - 2004/01/11(Sun) |
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2004年1月11日(日)晴れ
今日は日曜日。明日が成人の日ということで、朝から、街には振り袖姿のお嬢さんが写真を撮ったりするのを見かけました。
ひまわり太郎は、今朝も鏡川〜市内中心部コースを走ってきました。高知城の聳える「大高坂山」は、その石段を一気に駆け上がると結構運動になります。
天守閣へ上がれるのですが、開門は午前9:00。8:35頃に、雨戸を開けたりしゆうおんちゃんと、営業準備のおばちゃんがおったので、「9時からですよね」と話しかけると、「かまんかまん。上がり上がり。」と言うて下さったので、お言葉に甘えて天守閣まで上がってきました。つまり、この時間、天守閣には私一人。殿様気分を満喫してきました。
けんど、管理事務所も高知らしゅうてえいですね。 |
高知らしいと言えば、これもそう。写真は天守閣てっぺんの景色ですが、柱に「喫煙飲食昼寝おことわり」と書いた札が掛かっちゅうがが判りますか?ここは景色抜群で風が気持ちよく通り抜け、夏なんかは、最高に気持ちえいがです。ついつい昼寝しとうなるヒトがおるんですね。
ここの展示物に、1801年に追手門の柱に書かれた落書きがあります。
「禁酒したれど酒屋みれば足がしとふあとあゆまれぬかな」と書かれちょります。これも高知らしいですね。
素敵な高知城の朝でした。 |
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