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知っとく健康コラム

高知県の乳業史2012/01/19

ひまわり乳業創業者、吉澤八洲夫が、昭和39年、高知県酪農研究会発行の「高知県酪農の歩み」に寄稿した「高知県の乳業史」という文章が出てきました。高知県酪農乳業黎明期の状況を伝える貴重な資料ですので、ご紹介しましょう。

「高知県の乳業史」

高知県に乳牛が導入されたのは明治の中頃と聞いています。それは県有であって、現在の警察学校附近に牛舎があり、数頭の乳牛が飼育されていた。その牛乳は一部の人びとの飲用に供されていたようである。この県有乳牛はそのために、池知春水氏が県から払い下げを受けて潮江村「高知市潮江」に畜舎を建てて数頭を殖して本格的に営業を始めたのであります。

池知春水氏死去後、令息速水氏が後を継がれて経営を盛大にされましたが、速水氏は財力もあり、乳牛の改良にも非常に熱心であり、昭和初期に3千円(現在の価格で4百萬円位)を投じて、優秀な種牡牛を購入して乳牛の改良をはかるなど、乳業に尽くされた功績は偉大なものがあります。

高知県の乳牛は、全部牛乳営業者が自己の販売に必要な乳量を確保するために飼育したのであって、当時農乳といわれた農家飼育のものはありませんでした。これは、四国地域では高知県のみであり、徳島県を筆頭に香川、愛媛両県には農家の飼育熱が相当盛んでありました。

昭和10年頃池知速水氏を中心とする数名の方が、将来農乳を奨励する目的のもとに牛乳処理販売をも経営する高知県畜産協会を設立したが、時期尚早のため、なかなか農家に乳牛飼育希望者がいないので、暫定措置として畜産協会所有の乳牛20頭を一宮村(高知市一宮)方面の農家に委託飼育の方法をとり、これもあまり永続でず、2箇年位で全乳牛を引き揚げたことは残念でありました。

昭和15年、高吾牛乳営業組合(土佐市高岡)は宇佐町(土佐市宇佐)数名の方と提携して乳牛の契約飼育を実施した。これが牛乳営業者以外の者が乳牛を飼育した初めであり、高知県の酪農史に記録さるべき事柄であります。

大東亜戦争の末期に入り、軍納のために、日章村(南国市日章)の農家に乳牛を飼育する者ができ、宇佐町に次ぐ農乳地となった。この地区は純農村であり、宇佐地区と事情を異にし色々な点で恵まれ、健全に発展して今日の隆盛をきたし、高知県酪農の基礎を築いた。

昭和21年、筆者は高知県酪農振興方策を樹立するための中心団体設立の必要を痛感し、官民有識者の賛同を得て、社団法人高知県酪農協会を設立した。

この会の会長であり、県会議長であった山本義孝氏の熱心な努力と藤原高知県経済部長の御協力を得て、筆者多年の念願であった県有乳牛購入に必要な予算を確保することに成功したが、インフレ時代のため、立案から購入までの間に乳牛が暴騰し、最初10頭を予定したが5頭になったことは残念でしたが、これが今日の東又畜種場に飼育されておる基礎牛である。

しかし、時代が未だそのような空気になってなかったため、この協会も大した活動ができなかった。

大東亜戦争が激しくなるにつれて乳牛飼料事情も悪化し、労力不足もだんだん深刻となり、乳牛頭数も次第に減少し、産乳量も激減して遂に飲用牛乳の配給制度が実施されるに至った。

殊に飼料については、配給の実権を握る農林省の方針が、農乳重点主義でありましたので農乳のない高知県への割当て量は極めて少なく、この状態は終戦後も相当長く続きましたので、高知県の乳牛は100頭程度にまで落ちて、全く乳業界は火の消えた様相でした。これに反して四国の他の3県は戦争の被害も最小限度に止まり、飼料条件にも恵まれて乳牛頭数も大きな減少をみずに過せたことと比較して何んともいいようがありませんでした。

しかし乍ら、この「皆無」にも等しい状態の悪条件と闘って乳牛5000頭にまで達したことを思う時、よくやったものだと思います。

次に牛乳販売方面につきましては、いづれも個人経営で自家搾乳をしておりました。昭和10年に牛乳営業取締規則が改正され新しく低温殺菌牛乳が登場した。その際高知県の牛乳業者は地区的に企業合同して商業組合を設立し昭和12年から辺地を除き高知県下一円に低温殺菌牛乳の販売を開始、これは大きな英断であり、この統合によって牛乳販売業者は幡多郡を除いて6ヶ所となった。こうした形態は終戦まで続き、現在の安芸牛乳、高知牛乳、南海牛乳はいずれも商業組合の改組されたものです。

終戦後すべての面に改革が行われ、牛乳販売営業も開業自由となり、多数の新規営業者ができ、また昔にかえるかとみえましたが、最近はまたまた統合現象がでて、歴史は繰り返すという諺を思いだします。

高知県にも酪農組合が地区毎に結成され、その中には、牛乳処理販売を営む組合もありましたが、その後それぞれ営業面は他に譲渡して、本来の姿である生産一本にまい進するようになりましたことは、御同慶にたえません。

昭和29年に香南酪農組合が、その経営の高知市内工場を明治乳業株式会社に譲渡いたしましたが、これによって明治乳業高知工場開設となり、その実力と信用によって高知県酪農飛躍的発展の原動力となったことを特筆せねばなりません。

今後の高知県は生産者、メーカー、販売業者の総力を結集して相和し、県の強力成る施策と指導によって、その恵まれた条件を生かして酪農業が発展することを念願する。

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