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小早川秀秋を考える〔5151〕2017/05/23

小早川秀秋を考える

2017年5月23日(火)晴れ!

で、今朝は岡山。会合がありまして、昨日から。いつものように5時に起き出し、たつくって来ました。早朝岡山RUN。

出張に行くと、早朝、走る。自分の足で走ると、その町の様子がよくわかるので、良いです。どんな成り立ちなのか。どんな文化なのか。どんな牛乳屋さんが強いのか。

ここは岡山城。朝の岡山城周辺は、たくさんの人々が歩いたり走ったり。心地良いですもんね。今朝はお天気も良くて最高。

前回岡山城をたつくった時は、地形について考察した。宇喜多直家が、旭川デルタの3つの丘、石山、岡山、天神山の三つの丘を利用して城を築いた、てな話で、地理院地図の治水地形分類図で、その3つの丘が見事に確認できる、というお話だ。地学マニアには堪らない。興味ないですか?

 

で、今回は小早川秀秋くんの話。

岡山城を紹介しようとすると、どうしても気になってしまう小早川秀秋くん。毛利の名門小早川家の当主で、関ヶ原の合戦では西軍の主力になっていたにも関わらず、徳川方に寝返って関ヶ原を東軍の勝利に導いた、小早川秀秋くん。と、申しますか、西軍を敗北に導いたというイメージが強い小早川秀秋くん。

その功績で岡山55万石の大大名に封ぜられるのであるが、その翌々年に22歳の若さで亡くなる。そして、跡継ぎがいないということで改易。

なんか、とても悲しい人生になってしまった小早川秀秋くん。何故、裏切ったのか。何故、徳川政権最初の、嗣子不在による改易となってしまったのか。とても気になる秀秋くん。

この石垣前の写真。

説明板にはこんなことが書かれている。

「宇喜多秀家が築いた石垣の隅角を、小早川秀秋が石垣を継ぎ足して直線部に改修した跡が観察できる。秀家は安定性の高い大形の石材をきちっと積んでいる(左手)のに対し、秀秋は丸みの強い石材を粗雑に積んでいる。」

岡山市教育委員会も、秀秋くんへの態度が冷たい冷たい。仮にも岡山城の主人だった人物なんですけんどね。

秀秋くんの死因は、酒の飲み過ぎによる内臓疾患ではないた、とされる。満で言えば20歳の若者が、長年の飲酒による内臓疾患。

秀秋くんの生い立ちを詳しく見てみると、寝返った理由も、酒に溺れた理由も、なんか、理解できる気がする。

秀秋くん(生涯幾度も名前が変わってますが、わかりにくいので、関ヶ原の時の秀秋に統一)、秀吉の本妻である、ねねの兄の子。木下家の5男だ。3歳で、秀吉の養子に。11歳の頃までは、豊臣家の一員として、秀吉後継候補の一人、という扱いを受けて育つ。しかし秀頼誕生。

人生の歯車が狂い始める。

秀吉に疎まれ、小早川家の養子に出される。秀次事件に連座して、所領を没収される。小早川隆景の領地を譲り受けるも、朝鮮出兵の後、領地を半減、転封。取り上げられた領地は秀吉直轄になって石田三成管理下に置かれる。

秀頼のライバルになる可能性のある秀秋ですが、あまりにも酷い扱いだ。晩年秀吉のダークな部分が噴出してますな。

 

こりゃあ、寝返りたくも、なる。半減させられた領地を回復してくれたのは、家康ですしね。

こりゃあ、酒浸りにも、なる。やってられませんぞね。この仕打ちでは。

わかるけど。

 

でも、人間、捨てばちになっちゃあいかんね。必要なのは矜恃。そして、知恵と努力。

人間、別に、後世の評価のために生きている訳ではないが、志と矜恃を持ち、一生懸命一生懸命。自分で切り開いていかんとね。この説明板を見ると、いつも、そんなことを考える。


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