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若宮八幡宮から乗出堀詰〔5238〕2017/08/18

若宮八幡宮から乗出堀詰

2017年8月18日(金)よく晴れておる

今日も暑い夏の朝。

新聞によると、関東から向こうは、この夏は日照不足で困っちゅうとのこと。同じ日本でも、随分と違うもんだ。

写真は、夏の太陽がギラギラの電車通り。グランド通りという電停のある交差点。今日のテーマは「御馭初」。おのりぞめ。

幾度も、このにっこりではご紹介してきました。藩政期の、土佐藩における最重要年中行事の一つ、御馭初。

毎年正月11日(旧暦)。土佐藩の武士が、一人づつ、藩主の眼前を馬に乗って一騎駆けするもの。日頃鍛錬しているかどうかの勤務評定でもあり、騎馬が得意な武士にとっては一年に一度の晴れ舞台、御馭初。

集合場所は枡形。そして、この写真の場所から合図に従って一騎づつ、堀詰までの八町を駆け抜ける。現在の電気ビルの場所にあった深尾家の特設櫓の上には、山内の殿様だ。

この場所がスタート地点であったので「乗出」。かつて、グランド通りという電停は「乗出」電停だった。

ここが、その「乗出」であったことを示す痕跡が、左手の薬局の日覆い。ここの薬屋さんは「乗出薬局」でした。今も、日覆いに「乗出」の文字が残る。貴重な貴重な藩政期の記憶。

 

ここまでは幾度か書いてきた話なので、またか、と思うた方も多いと思う。ごめんなさい。でもね。今日の本題はここからだ。

御馭初の起源の話。

 

関ヶ原の後、山内一豊さんが土佐へ入国してくる。最初に本拠としたのは、長宗我部氏が当時本拠としていた浦戸城。浦戸城に入城し、土佐一国支配の基礎を固め始める。

治水と土木工事に優れていた一豊さん、地政学的に土佐を見て、この、大高坂山を中心とした、海から遠いけど川に挟まれた場所に城下町を建設する判断をし、その作業を始める。

でも、城下町ができるまで、掛川から連れてきた家臣やその家族たちは、浦戸城界隈に住んだでしょう。

 

正月。

まだ戦国の気風が残る武士たちは、何か刺激を求めていたかも知れない。

そこで一豊は、浦戸城からほど近い長浜の若宮八幡宮の長い直線の参道を利用し、馬で駆けさせる催しを行うこととした。参道の長さは八町余り。

その正月行事は、大高坂山にお城ができて殿様がそこに引っ越すまで続いたという。

城下町ができ、大勢の武士達は、山内の殿様と一緒に新しい城下町に引っ越し、住み始めた。

たぶんその翌年の正月。

長浜、若宮八幡宮でやっていた正月行事の馭初をやめてしまうのはもったいない。と思うたかどうかは知らんけど、若宮八幡宮の参道八町と同じ距離の直線をここから堀詰までの間に認め、再開したのであった。

 

それが、土佐藩名物の御馭初のはじまりであり、ここがスタート地点の乗出になり、ここに乗出薬局ができることになったきっかけなのであるのである。

 

この話、あまり知られてないですよね。僕も知らんかった。

こないだ、若宮八幡宮の前宮司、大久保さんにご教示頂き、なるほど!と手を打った、この話。

見てきたように書いてますが、大久保さんの受け売りです。

でも、興味深い話でした。若宮八幡宮の直線の長い参道が、乗出から堀詰の直線道路に。

ものごとのはじまりには、理由がある。


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