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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

中央区立泰明小学校は近代産業遺産〔3248〕2012/03/07

中央区立泰明小学校は近代産業遺産

2012年3月7日(水)東京は曇り

今朝は東京。昨夜最終の飛行機で飛んで来ました。今朝の東京は、昨日の高知みたいに、霧が出ちょります。
実はひまわり乳業、昨日から、東京で2つの商談会、展示会に出展しちゅうのであります。ひとつは有楽町、国際フォーラムで昨日今日と開かれるJA国産農畜産物商談会。土佐文旦加工組合さんと共同でつくった土佐ぶんたんの試飲、商談を行っております。もうひとつは幕張メッセで開催中のFOODEX JAPAN 2012。これはアジア最大級の食品・飲料展示会。初めての出展。関係者のみとはなりますが、機会がございましたら、ぜひ、ご来場ください!

さて、銀座界隈に泊まっちょりましたので、今朝は、銀座、有楽町、日比谷公園界隈をたつくってきました。こないだ、高知城の前の遺跡発掘現場をご紹介しましたが、同じように江戸城の東側の海に面したエリアも、大きな大名の上屋敷などが並ぶ場所でした。大きな大きな敷地に、いかめしい長屋門、塀、居館、そして広大な庭。それが、かなりパターン化されちょったようです。

明治維新の後、新しく皇居になった場所の東の、その広大な屋敷地は、明治政府が接収しました。で、当初は陸軍の練兵場などになっちょります。その際破壊されたものも多かったでしょうが、基本的な構造は残りました。そして明治23年、丸の内の練兵場は三菱グループ総帥、岩崎弥之助に払い下げられたのでありました。岩崎は、そこを欧米の街にあるようなビジネス街にしたかった訳です。
当初はなかなか思うように進まず、野原みたいになって「三菱ヶ原」とも呼ばれたそうですけんど、その後の発展はご承知の通り。

その南の、旧松平肥前守の広大な屋敷地やった練兵場は、明治36年に日比谷公園となって、今でも、都心に、奇跡のような緑の空間を保っちょります。東京都心は、他国の大都市中心部に比しても、例外的に緑の多い街。それは、広大な庭を持った大名屋敷に由来する、という話は以前にも書きました。

さて、藩政期の面影を残しちょった東京の街も、大正12年9月1日の関東大震災で壊滅的に破壊されてしまいました。そして、新たな思想に基づく都市計画が行われ、江戸の面影、痕跡はかなり消えて行きました。

ここは有楽町の駅近く。数寄屋橋の交差点の近くに、突然存在するビックリするようなモダンな建物。これは中央区立泰明小学校。明治11年開校以来、この場所にありました。開校直後の時期には、島崎藤村、北村透谷などのロマン派の文人が通うたがでも有名。藤村は泰明小学校から神田の共立学校に進みますが、そこで土佐出身の文人、馬場孤蝶と同級生になり、同じ明治学院に進学して、互いに影響を与えまくることになりました。

現在の泰明小学校は関東大震災の後、昭和4年に建てられたもの。耐震性能を高めた鉄筋コンクリートづくりですが、いかがでしょうかこのデザイン。東京都選定の歴史的建造物であり、経産省の近代産業遺産に指定されちゅうというがもわかります。
そしてこの小学校、このように街中にあっても、現役で、幼稚園と小学校として活躍しゆう建物。銀座のシンボルとして、愛されつづける泰明小学校。もうすぐ廃校になる高知市立追手前小学校と同じく、2009年から特認校となって中央区ならどっからでも通うて来れるようになっちゅうそうです。うらやましいかぎりです。


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