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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

古代の道は直線道路〔3787〕2013/08/28

古代の道は直線道路

2013年8月28日(水)今朝も涼しゅうございました

日中、30℃を超えますが、35℃以上に慣れた身体には心地良う感じる気温。こうやって、ヒトは環境に適合していくがですね。安部公房さんの「砂の女」を思い出します。

それはそうと。昨日、
太陽とお月様を除いて全天で一番明るいがは木星などとたわけたことを書いてしまいました。もちろん、金星の方が明るうございます。当たり前です。最近金星を見ちょらんもんで、頭からすっかりと抜け落ちちょりました。申し訳ない。
間違いと言えば、一昨日のにっこりで、笹ヶ峰のルートが官道になった796年以前は、四国の西岸をぐるっと廻ってくるルートがオオヤケの道であった、てなことを書きました。これも正確ではございません。申し訳ないです。

えーとですね、古代、つまり奈良時代以前、大和朝廷などの国造が各地に置かれちょった時代。現在の高知県は都佐国造と波多国造に分かれて統治されちょりました。先にできたがは、どうやら波多国。何故か。それは、その時代の官道が、淡路島から阿波、讃岐、そして伊予をまわり、幡多からぐるりと廻って土佐へ来るルートやったきと言われます。政治の中心とは、波多の方が近かった訳です。しかしこれはあんまりこと距離が長い、というので、養老2年(718年)に、現在の国道195号線に近いルートが官道になったにかありません。いや、その前(710年)に久万官道(国道33号線に近いルート)ができちょったという話もあります。
で、その後、平安朝になって、一昨日通った笹ヶ峰が南海道になった訳です。

さて。その、北山官道や、奈良時代の養老官道の時代。土佐の国の中心は、高知市の旭小学校界隈にあったとされる国造屋敷から南国市国分界隈に遷っちょりました。その当時の官道(南海道)が、この写真のところにあった話は、2008年9月20日のにっこりひまわりで書いちょります。この、写真の道路(曙街道)工事で出土した遺跡。見事な側溝も備えた、幅6mの広い直線道路が、国分からあの山と山の間を抜けて南進、そこで右折して西進しちょったにかあらん、という話。5年前と同じアングルで撮影してみましたので、どこをどう、古代の官道が走っちょったがか、想像できると思います。

この南を西へ進むと、そうか、介良か。その北には大津。官道は、港につながっちょったがでしょうか。

この写真のところにあった官道が使われよったのは、10世紀頃までと言われます。中国の律令制度を日本に導入した際、官道も、馬車などが走りやすい直線道路になったがでしょうか。しかし、山が多く、川や谷筋が多い日本の国土に合わせた街道整備に、段々と方針が変わってきたがかも知れませんな。
ローマ街道は、ご承知の通り、サービスエリアも備えた当時の高速道路でありました。地形を無視した直線道路。かなりの部分は石で舗装された、高速道路。
律令制度を導入した日本でも、広い直線道路が建設された時代があったがにかありません。

そんな広い直線道路の痕跡は、もう、この新しい直線道路「曙街道」の下に埋まってしまいました。


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