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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

一木権兵衛さんと権兵衛井流〔3904〕2013/12/23

一木権兵衛さんと権兵衛井流

2013年12月23日(月)快晴!

良いお天気。しかし、今日は午前中会社、午後は会議となっちょりまして、山へは行けません。こんなにお天気が良いのに。こんな日に山をたつくるがも心地エイでしょうね。

そんな訳で、ここは、今朝の布師田。
このにっこりひまわりでは、一木権兵衛さんという人物を、何度かご紹介してきました。藩政期初期、野中兼山さんに抜擢された土木工事責任者。
有名なのは、仁淀川の灌漑工事や、手結港浚渫工事、そして室戸の津呂港や室津港の拡張工事。手結港室津港についての記事をご覧になってみてください。
室津港のところでも書きましたが、おさらい。

室津は、土佐と近畿を結ぶ航路の重要な港。岬をまわる難所があるので、風待ちをすることもしばしば。物流の拠点でもあり、重要な港湾としての整備は急務でした。しかし、川の河口にある港であり、川が流してくる土砂の堆積で、すぐに港の入り口が塞がれてしもうたりしました。そこで、川の河口部と港の間を仕切り、港を独立させました。そして浚渫。
これは、予想を上回る大工事、難工事であったようで、工期(3年)も工費も、予定を大きくオーバーしてしもうたそうです。しかし、当時はもう失脚し、貶められ、失意のうちに亡くなっちょった野中兼山さんの教え「御普請には存分の金銀を費やしても構わぬ。ただ、完全なものに仕上げることだ。」という言葉に従い、一木権兵衛普請奉行が完成させた難工事。

以前にも書きましたが、港の入り口の、邪魔になる大岩を取り除くのに難渋し、それを取り除くことができたら一命を捧げる、と権兵衛さんが誓願したとされます。そして、完工した延宝7年6月17日の夜、港上で、鎧、兜、太刀を海神に献じ、自ら人柱となって自刃した、ということ。すさまじい話です。
一説には、予算、工期を大きくオーバーした責任を取った、という話もあります。どちらにしましても、すごい人物、一木権兵衛さん。

その一木権兵衛さんの名前が書かれた木の柱が、国分川沿いにあったと思いましたが、今朝はよう見つけませんでした。
そして、今は、以前にはなかった、一木権兵衛さんの事績を書いた説明板が立てられちょります。素晴らしい。その説明板の下のあるのが、この、権兵衛井流(ごんべえゆる)。布師田橋よりちょっと東の、国分川北岸の土手下。
普段は、用水路の水量調節が役目。今日も、写真左手の青い水門のところから、用水の水がいくらか土手の下をくぐって国分川へと落とされよりました。
しかし、大雨になると、違う役割を担います。水門は閉じられ、国分川からの水が農地へ入ってこんようにします。そして、別の場所に設けられた水門を開いて土手の内側の水を国分川へ流し、浸水を防ぐ、という、よく考えられた仕組み。

これを考えて、施工したのが、布師田の元一領具足、一木権兵衛さんやった、という訳です。
山田堰の工事を見に行きよった野中兼山さんが、道中でこの権兵衛井流を発見して驚愕、村人に問いただして一木権兵衛さんなる人物を知ることとなったのでありました。で、この権兵衛井流の技術思想が、野中兼山さんの理想にまさしく合致し、郷士に取り立てて山田堰工事を手伝わせたのであります。もちろん、そこで有能さを発揮した権兵衛さんは、それからの野中兼山さんの土木工事の現場責任者として活躍したのでありますね。

その技術が他に秀でちょったので、兼山さん失脚後も室津港などの土木工事の普請奉行となり、上のような凄絶な生涯を送ることになった一木権兵衛さん。

ここ、布師田の権兵衛井流は、400年近く経過した今も、建設当時と同じ役割を果たし、地域で管理されゆうとのこと。
世の中には、もっともっと評価され、語り継がれていかんといかんすごい人物が、いっぱいおります。


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