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山頭火の歩いた橋かも〔5056〕2017/02/17

山頭火の歩いた橋かも

2017年2月17日(金)小雨

近しい者が、ヒッチハイクで、高知へ帰って来ました。関西から。
話を聞くと、日本も捨てたもんではないな、と思える物語。

京都の桂川PAから吹田PAまで乗せてくれたトラックの運ちゃん。吹田PAまで来てしまうと、なかなか四国方面への車を捕まえるのが難しくなるんですね。それを気にしていた運ちゃん、仕事が済んで帰りに吹田を通過する頃、まだ、車を捕まえれてなかったら、捕まえられそうな場所まで乗せてってあげるよ、との親切な言葉をかけてくれたそうです。
まさか、そんな時間まで、捕まえれんことは無かろうと、やんわり辞退していたら。

やはり、その時間(夜の7時)まで、車は捕まらず。
その運ちゃん、ちゃんと吹田PAまで戻ってきてくれたんですね。で、なんと、淡路島SAまで乗せてくれたんだとか。すごい。淡路島まで渡れば、高知行きの車も捕まえやすいだろう、と。本人は、その運ちゃんが神に見えたそうです。そりゃあそうだ。そんなお方も居るんですね、この日本。

お昼に京都を出発して夜の7時にまだ吹田。このペースなら3日くらいかかりそうな気配でしたが、無事、その夜の25時過ぎに高知へ帰り着いたそうです。その運ちゃんのお陰様。最近、日本も危険な国になってきて、ヒッチハイクもなかなかやりにくくなっていると言います。が、捨てたもんではないですな、この国も。

今日は、仕事で愛媛県方面へでかけてます。写真は、その道中。国道33号線。越知町を過ぎ、仁淀川町へと向かう途中。仁淀川に架かる「寺村橋」。ここから向こうが仁淀川町。かつての吾川村。越知町と吾川村の境。
ご覧のように、この山の上には、斜面にへばりつくように集落。どうしてこんな斜面に?と思うような場所に集落があるのは、ここに限った話ではありません。それぞれ、ちゃんと、理由があるのだと思います。

かつての松山街道、つまり、高知から松山へと向かう街道は、現在の池川から国道494号線で愛媛へ向かう道。こちらの、仁淀川沿いルートがメインルートになったのは、たぶん、明治27年のこと。昭和20年に国道となり、昭和27年、国道33号線となる。
右側のトラス橋が現在の寺村橋。その少し西側に、こんなのがありました。昔の橋だ。現在の寺村橋が架けられたのが、昭和33年。それまでは、こちら側の橋だった訳です。大正9年に架けられたという、橋。

どうでしょう。この時代の公共建築物は、本当に、美しいものが多いんですね。建物もそうですし、橋も。横から見ると、橋脚のアーチもまた、美しいんでございます。

この橋を自動車が渡っていた時代、橋を向こうへ渡ると、左折して川沿いに国道がありました。今は、トンネルであっという間に抜ける道ですが。
その旧道を走って見ると、未舗装の狭い道が残ってます。
これが、昔の国道の風景か。
昔、山を走る日本の国道は、こんな感じであったのか。この旧道は、それを体感できるのであります。

その道が国道であった時代は、托鉢、行乞で歩く山頭火のような人は居たでしょう。が、ヒッチハイカーは、居なかったと思います。
山頭火は、昭和14年11月に、池川で過ごしています。と、いうことは、この橋も、歩いて渡ったのか。山頭火も渡った、寺村橋。


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