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ひまわり乳業の生立ち(戦前編)2000/11/13

皆さんはじめまして。わたくし、このHP管理人と同じ職場で働く「ひまわり太郎」と申します。以後、時々コラムを書かせて頂きますので、よろしくお願い申し上げます。 今回は、ひまわり乳業株式会社という会社の生い立ちを書いてみます。お暇な方は読んでみてください。


それは、大正11年に遡ります。銀行員吉澤八洲夫(25歳)は、勤めていた銀行の破綻等を通じて、勤めの身のはかなさを感じていました。本人も身体が弱く、また、妹も病弱だったため、健康のために山羊を飼育してその乳を搾っていた八洲夫は、次第に洋風化する日本人の食生活の将来に鑑み、乳業によって身を立て、生涯の仕事とすることを決意しました。


そこで、高知県土佐郡秦村(現高知市中秦泉寺)に、小さい牧場をつくり、乳牛を飼育、搾乳して、近所への販売を始めることになります。この「吉澤牧場」が、ひまわり乳業の出発点となります。昭和6年には吉澤牧場を拡張して飼育頭数を増やし、また、高知市愛宕町に処理施設を設けて業容を拡大していきます。昭和12年、高知市内にあった他の牧場と企業合同して商業組合を設立し、八洲夫はその代表者となります。この当時、ヨーグルト等の製造も始めたとのことです。


ところで、はなしはスッポン変わりますが「寒椿」という映画をご存知でしょうか? 南野陽子主演の土佐の高知が舞台のやつです。この映画の冒頭のシーンで、「乳牛りわまひ」という字を書いた荷車をひっぱる牛乳配達のおじさんが道端を通過していきます。この時代(どの時代かよくわかりませんが)には「ひまわり牛乳」という商品は存在していませんので、高知へロケにやってきた折に飲んだひまわり乳業の牛乳を ヒントに創ったシーンだと推測されます。機会があれば是非観てみてください。

ということで、長くなりましたんで、ひまわり乳業の生い立ち(戦後編)につきましては、「次回のお楽しみ」にさせていただきます。失礼いたしました。

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