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地理院地図と城下町と寺町〔5487〕2018/04/24

地理院地図と城下町と寺町

2018年4月24日(火)小雨

昨日の夜、飲み会の後、帰宅していたら雨が降り始めました。で、今朝は、雨。写真は今朝、5時過ぎの鏡川。潮江橋北詰から西の方角を撮影してみました。雨の、鏡川。向こうに見える橋は天神橋。その袂に、天神の大クスノキがうっすらと。

今朝の鏡川は、かつての名称であった潮江川と呼ぶ方が似つかわしい、そんな風情。

この対岸の土手上にはホテルが並び、その南側が天神町。どうやらその界隈は、早くから拓けた土地であったようです。

美しい灯の向こうに霞んで見える筆山。潮江山。あの山に、四国山中から侵攻してきた森氏が居城を構えたのは、戦国時代のこと。そして、潮江川の畔に家臣が住んだ。その名残は、今も土居町という町名に残っている。

天神様から天神町、土居町、役知町にかけてが、山内一豊による城下町建設以前より存在した集落だと思います。たぶんね。町名からの想像ですけどね。

 

そこで検証してみました。

今は地理院地図という強力な味方が存在するので、いつでもどこでも地質や地形、過去のことなどがすぐに判るのであります。偉いぞ、国土地理院。

地理院地図の標準地図で見ると、これ。変哲のない、地図。これなら、Googleマップの方が良さそうだ。と、思うでしょ?でも地理院地図のすごいのは、ここからだ。

まず、土地条件図。

これを見ると、高知の城下町は、氾濫平野に盛り土でできた土地であることが、わかります。ところが、潮江川の南の、古い古い町は、黄色い表示。これは「自然堤防」。洪水で運ばれた土砂が流路沿いに堆積してできた微高地。氾濫平野よりも地盤が固く、少し高い。そんな場所であったので、広い湿地帯であった高知の平野にあっても、早くから人々が住むようになったんだということが、妄想できます。できますね。

 

この地図を見ていると、もう一つ、重要なことに気付いたような、気付かんような。

全国各地の城下町、想像してみてください。どの町にも、お寺さんばかりが並ぶ、寺町のようなものが存在してます。

例えば大阪。大阪城から天王寺までの、上町台地の尾根筋には、ずらりとお寺が並ぶ。

僕がよく走る町で言えば、飛騨高山。城下町の東の山裾に、これでもかと言うくらいお寺が並ぶ。

こないだの2月に走った米子も、お寺さんが集まる寺町がありました。

同じ山陰、松江の城下町も、こんな感じ

古都、津山もね、このように寺町があります。

山陽の代表的名城、姫路城の城下町にも、下寺町という地名とともに、こう

四国。徳島の城下町はこんな感じで眉山の東麓にお寺が並び、高松では、こんな感じ。松山はあるのかな、と探してみたら、ありました。ここ。こないだご紹介した、山頭火が最晩年を過ごした御幸寺も、この中にございますね。

 

でも、高知の城下には、そんな寺町、ない。なんとなく、あちこちに分散しているような感じ。古くからの名刹は、特に。

でも、今一度この地図を見てみよう。この対岸の自然堤防上には、いくつかのお寺さんが並んでます。真如寺は山内家の菩提寺だし、要法寺も山内氏ゆかりのお寺。一豊さんは、この地盤の安定した微高地に、他の城下町にもあったような寺町をつくろうとしたのか。かも知れない。

でも、地元各所の昔からのお寺さんの力も強く、結局、寺町づくりは、この南岸の数軒にとどまったのか。かも知れない。

 

そんな妄想をかきたてるのは、地理院地図。


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