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ブレジネフのマトリョーシカ〔5605〕2018/08/20

ブレジネフのマトリョーシカ

2018年8月20日(月)薄曇り

涼しい。今朝、4時に起きて会社に出てきた際の、車載の外気温計は23℃。おう。こないだまで27℃くらいだったのが嘘のよう。全然体感が違います。涼しい涼しい朝。でも、今週はこれから二つの台風がやって来るので、どんなお天気になるのか気になります。

 

マトリョーシカ。

会社の、僕の部屋の棚の上にいつも置いてある、年季の入ったマトリョーシカ。この裏面には、マジックで「1982.7」と書かれてます。見慣れた、父の文字。10年前に亡くなった父は几帳面で、記念品や貰ったものなどに、必ず日付とかを書き込んでました。見習わんといけません。

1982年と言いますと、僕は東京で大学生。その頃、父は、旧ソ連へ旅行したのでありました。乳業関係者の団体さんによる、中央アジア界隈の乳製品視察旅行だったと思う。当時、ソ連はガチガチの共産国であり、書記長はブレジネフ。

1982年はブレジネフ政権末期。調べてみると、ブレジネフは1982年11月10日に亡くなり、翌々日にアンドロポフが書記長に就任してますな。そんな時代のソ連に旅した父の、マトリョーシカ。

 

ブレジネフは1964年から1982年まで書記長をやってます。長期政権。僕が物心ついたときにはソ連の書記長はブレジネフで、大学生の時まで続いた訳だ。なので、一番印象に残っているソ連の書記長はブレジネフ。その後のアンドロポフは1年3ヶ月、その後のチェルネンコは1年1ヶ月なので、あまり印象に残ってません。二人とも、就任してそれくらいで亡くなってしまったのでありました。

その後登場するのがご存知ゴルバチョフ。

現在の世界に、ゴルバチョフがもたらした影響というのは計り知れないものがある、というのは衆目の一致するところ。彼が居なかったら。今の地球は全然違うものになっていたのは間違いない。今も87歳でご存命。書記長になったのは54歳か。

願わくば、もっと長い期間、影響力を持ち続けて欲しかった人物。

 

話はマトリョーシカ。

マトリョーシカの歴史はそんなに古いものではない、と聞いたこと、あります。古くからの民芸品みたいなイメージあるけど、1900年のパリ万博でメダルを受賞してから広く作られるようになったんだ、とウィキに書いてます。その起源として、箱根細工の七福神入れ子人形が挙げられているのは有名。まあ、諸説のひとつではありますが。

箱根細工の入れ子人形を見てみると、確かに、似てます。これがマトリョーシカの起源と言われたら、なるほど、と頷いてしまう。

 

同じ姿のものが、内側に、永遠に存在する。その宇宙観が、素敵。

単に、入れ子が面白い、というだけではなくて、ここに存在する宇宙観が、僕らを引きつけるのかも知れません。ソ連が崩壊し、ロシアになっても、マトリョーシカがロシア土産の定番。新しいものかも知れんけど、ずうっと未来まで、マトリョーシカは残っていくと思う。

ロシアがどうなって、日本はどんな方向へ行き、地球がどう変遷するかわからんけど、それは宇宙の中の小さい小さい小さい小さいできごと。

その内側にも外側にも無限に続く、宇宙がある。それがマトリョーシカ。


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