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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

松ヶ鼻、農人町、松、桜〔6298〕2020/07/13

松ヶ鼻、農人町、松、桜

2020年7月13日(月)薄曇り

月曜日の朝。3時半の堀川。まだ静まり返っている、農人町と九反田。鏡川大橋北詰から撮影。堀川は、この界隈から西が川幅が狭くなります。

江戸時代の絵図を見ても、そう。明治期の川田小龍さんの市街図を見ても、そう。この川幅は、三百数十年、あまり変わっていないのかも知れません。

でも、両岸の景色は、随分と変わってきてます。

 

向こうに見えるホテル日航高知旭ロイヤルさん。あそこにはかつてニチレイさんの倉庫があり、その向こうが中央卸売市場。なので、市場が弘化台に移転するまでは、月曜の朝のこの時間は、こんなに鎮まりかえってなかったと思われます。

この堀川にも、生鮮産品を積んだ舟が往来していた、そんな風景。

 

こないだ、Facebookに、土佐史談会の今井副会長さんが、ここの風景を撮影した絵葉書を上げておられました。明治5年、井上俊三さん撮影の写真。まさしく、このアングルに近い写真で、右手に松ヶ鼻、堀川の彼方に大鋸屋橋が見える写真。

でも、この今朝の風景とは全然違います。異国のよう。この右手に藩政期に置かれていた番所が松ヶ鼻番所と呼ばれていたように、この両岸は見事な松並木。立派な松の木が、土手に延々と続いている風景が、ここにありました。

 

ちょいとこの風景の歴史を、やっちょきましょうか。角川書店「高知県地名大辞典」から抜粋ね。なかなか詳しく書いてくれてるので。

寛永二年。1625年だから、二代藩主忠義さんの時代ね。下知村に堤が築かれる。後世の宝永堤の場所かどうかは、知りません。でもその辺り。で、その堤の内側が農地として開拓された訳やけど、その際に、藩主、つまり忠義公の御手先農民が住まわされたのが、農人町。この川沿いが表町で、一つ北の通りが裏町。農民ひとりに給米9石が与えられたから九石町とも言われたそう。知ってました?

 

この松ヶ鼻かた順次西へと水路が掘り抜かれ(壱岐殿堀)、貞享三年(1686年)、横堀とつながって高知の城下の大動脈、完成。4代藩主豊昌公の時代。

松ヶ鼻は、三ツ頭とも呼ばれてて、そっちが正式な地名みたいやけど、それは鏡川(潮江川)と浦戸湾と堀川の結節点だったから。交通の要衝。そこに松並木が整備されていったのは、いつの時代なんだろうか。当時の人たちにとって、水辺には松、という意識があったのかも知れないね。

この東は常盤町。その東に若松町。松にちなむ町名が並ぶのは、この川沿いの松並木が、とっても特徴的だったからでしょうね。

 

松並木はいつしかなくなり、港湾機能、物流機能の要地として、倉庫や海運会社が並んだ農人町。でも、「高知県地名大辞典」には、こう書かれてます。

「当地はかつては港湾機能をもつ物資流通の要地であったが、流通機構の変化に伴い昔日の面影を失い、繁栄の名残をとどめる石造の倉庫も建て替えが進む。」昭和53年の話。僕が高校生。

その頃には、地元のみなさんが桜の世話を始めていたのでしょう。現在、この両岸は桜並木。高知の城下のお花見名所になりました。

 

風景も、社会も、どんどん変わる。この静かな風景もまた、いつしか変わってゆく。

てな感慨にひたってる間に、夜が明けてきました。さあ、月曜日の夜明けだ。今週も張り切って、ジャンジャンバリバリ!


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