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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

橘高等女学校の謎〔7559〕2023/12/26

橘高等女学校の謎

2023年12月26日(火)晴れ!

第二次世界大戦が始まるまで、高知市にあった高等女学校は、第一、第二の県立と、私立の土佐、高坂。戦時中に、高知市立ができ、私立の藤蔭がつくられました。界戦中戦後の歴史、経緯はかなり複雑なので、機会があればまた調べて書いてみたいけど、今日は、皆さんあまり聞いたことのない「橘高等女学校」の話。

昭和51年高知新聞社発行「高知県百科事典」によれば、「橘高等女学校」は、その名前では、1946年から1947年にかけてだけ存在した、私立の高等女学校。どういうことか。

 

今の高知学園は、かつて、桜井町にあって「城東商業学校」であった、という話は以前にも書いたこと、あります。明治28年(1895年)創立の私立江陽学舎が、その前身。で、明治39年、この場所に移転新築したと言います。高知市北新町84。隣には多賀神社。この写真の、マンションの向こうに見える森が、多賀神社。いわゆる「おたかの森」で、高知高校の応援歌にも出てくるという話は以前にも書いたね。そして昭和32年、高知学園は旭の方へと移転し、その跡地にできたのが県立中央病院で、その跡地が、量販店とマンションになっているという話。

 

で、橘高等女学校。

「高知県百科事典」には、こう書かれています。以下転載。

高知市中新町(桜井町)にあった私立の高等女学校。1944年、戦時非常措置方策により城東商業学校の生徒募集を停止して高知女子商業学校発足、1946年、橘高等女学校に変更したが学制改革で城東高等学校に統合された。

以上転載。ここに出てくる「戦時非常措置方策」というのが、曲者だ。ウィキを見てみよう。1943年10月、東條内閣によって閣議決定されたもの。それだけで、なんとなく性格がわかるよね。その方策の中に、「男子商業学校については昭和19年度において工業学校・農業学校・女子商業学校に転換するものを除いて整理縮小する。」と、あります。これだ。

恐らく、新入生募集を停止して上級生だけになった城東商業学校と別に高知女子商業学校がつくられ、戦後に橘高等女学校と名称変更が行われ、一年後に統合されて城東高等学校になった、という経緯。

 

そんな訳で、時代に翻弄された幻の橘高女があったのは、ここ。ここなのか?いや、違うかも知れない。

城東商業は、上に書いたように、明治39年にこの場所へ移転してきてるけど、それまでは中新町(桜井町)にあった、と、高知県百科事典には書いてます。橘高等女学校の所在地は、高知県百科事典には中新町(桜井町)と書かれているではないか。

つまり、城東商業がここに移転してくる前の、江陽学舎が創立された元々の場所に、高知女子商業学校が、そして橘高女がつくられた、ということなのか。そうだとするとその場所はどこなのか。謎だ。

 

話は変わりますが、先日書いた伊豆田峠の話で、倍賞美津子さんと書いているのはお姉ちゃんの倍賞千恵子さんの間違い。なんという勘違い。読者の方からご指摘を頂きました。お詫びして訂正させて頂きます。申し訳ございません。ご指摘頂き、ありがとうございました!

 

こんな間違いもしでかしつつ、今年も暮れゆく。今日を入れてあと6日。さあ、張り切って仕事仕事!


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