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物部川、日章、田村、国府、岡豊について考える〔1989〕2008/09/25

物部川、日章、田村、国府、岡豊について考える

2008年9月25日(木)曇り

今日は曇り。全国的に曇り。

ここは物部川、上岡八幡宮から土手の方へ出てきて、西向いて撮影してみました。川の向こうは日章で、その向こうに介良の山々が見えよります。

日章の向こうは田村で、中世の土佐の中心地。守護代の細川さんの居館は田村にありまして、ここから土佐一国に号令をかけよった訳です。それまでは、昨日ご紹介した国分の国庁が土佐の中心。

国分から田村までは結構あります。国府から介良までよりも、だいぶ距離がありますね。元々、田村は、弥生時代から土佐の中心やったとされる場所。

県下最大級の弥生集落遺跡があることでも有名で、物部川の氾濫に悩まされたりしながらも、ヒトがたくさん住みよった地域と考えられます。古墳時代から奈良時代、平安時代にかけては、土佐の中心は国府の界隈に移っておりましたが、鎌倉時代から応仁の乱あたりまでは、田村で細川氏が権力を握っちょりました。

それから戦国の世になり、群雄割拠する訳ですけんど、広々とした平野の真ん中にある田村は戦国の世に勢威を張るような場所ではなく、次第に農村地帯へと変わっていったようですね。変わって、岡豊山に代表されるような山に拠点をもつ豪族がこぢゃんと偉うなり、戦国末期を迎えていくのでありました。

ちなみに、昨日ご紹介した国庁の西に国分寺がありまして、そこから西へちょっと行くと岡豊山。つまり、長宗我部氏は、国の中心地と申しますか、こじゃんち重要な地域を本拠としちょった訳で、そこを押さえちょったことが、後に土佐の覇者になっていったこととも関係があるろうと思われます。国の中心部を掌握する、という意味は、物理的な意味以上の、大きな力につながっていく、という話は古今東西枚挙にいとまがありませんきに。


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