豊予海峡は、深い〔8336〕2026/02/10
2026年2月10日(火)晴れ!
久々の豊予海峡。大分県に所在します九州乳業様に向かう道中、国道九四フェリーが、九州と四国の間に立ちはだかる豊予海峡を快速で走ってゆきます。立ちはだかる、というか掘りはだかる、というか。
瀬戸内海という海は、以前に幾度も書いたように、ほぼほぼ100m以内の水深。なので、2万年前の最終氷期の時代、つまり現在夜海水面が120m以上低かったとされる時代は、ほとんどが陸地だったのでした。
当時の東瀬戸内海の海岸線は、宿毛の南。広大な平野が広がっていたのでした。恐らくは、その平野にたくさんの旧石器時代人、縄文人が暮らしていたと思われるけど、その痕跡は、今は海の底。
そんな2万年前でも、この豊予海峡界隈には水深200mの湖ができていたと思われます。現在、海峡中央部の北と南には水深460mの深い場所があって、瀬戸内海で最も深い場所となってますよね。
その、北と南の深い深い地区に挟まれた尾根のようなところでも、水深200m弱。つまり、2万年前でもそこは水の底だった。豊後水道では一番狭い(14km)場所が一番深い、ということね。
その湖を避けたら人々は自由に往来できた訳で、九州も四国も中国地方も徒歩往来圏であったことがわかります。今の僕らが思っているよりずっと、その交流域は広かったのかも知れません。
最後の氷期が終わってどんどんと温暖化してくる中で瀬戸内海が海となり、約7000年前、徒歩では渡れなくなったと思われます。豊予海峡は、かなり早い時期から太平洋と繋がり、潮の満ち引きに合わせて速い速い潮が流れて海の難所となったのでした。
豊予海峡の南に位置する日振島を藤原純友が本拠としたのも、この豊予海峡、速吸瀬戸の難所が天然の要害となったからでしょうか。今日の写真は、国道九四フェリーの甲板から南方向を撮影したもの。恐らく、あの向こうに見えるのが日振島。この海を縦横無尽に走り回っていたのが、藤原純友とその軍団でした。
この豊予海峡をトンネルか橋で結ぶ、という計画は、今もまだ生きています。こんな感じで。四国だけのことを考えたらこんなところを繋いでも、と思うかも知れんけど、関西方面と九州を結ぶ最短ルートになることを考えたら、あながち夢物語とも言えないのが、この計画の難しいところ。
現在でも、この国道九四フェリーは1日16往復という頻度で運行しており、結構な量のトラック、自動車が乗ってます。その中には、関西方面から淡路島、高松道、松山道を通って九州へと向かうトラックも。
そう。ここをトンネルか橋で繋ぐのは、四国新幹線を通すよりも経済効果が高いのかも知れない、という訳だ。まあ、どちらにしても随分と先の話。社会構造がどうなっているのか想像もできない未来の話。
ここを貨物新幹線が走るといいね。いや、妄想です。
