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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

大阪、上町台地から西へ下る道〔3102〕2011/10/13

大阪、上町台地から西へ下る道

2011年10月13日(木)曇ってまんがな

今朝は大阪。昨日から来ちょります。本町に泊まっちょりまして、今日は、夜明け前から大阪城界隈をたつくりに行っちょりました。
以前にもご紹介しましたが、大阪城のある場所は、住之江辺りから北に突き出して来ちゅう上町台地の北の先っぽになります。
縄文の頃は、今の大阪の街のほとんどは、河内湾と名付けられちゅう海の下。大阪湾と河内湾の間に突き出しちゅう半島が、上町台地でございます。河内湾は、河内湖になり、そして沖積平野へとなっていったのでありました。
大 阪城の界隈は、現在標高20m~30m。結構な高さ。大阪城のしゅっと南に難波宮跡の広大な土地があります。そこに日本の中心があった頃は、海に面した丘 の上、という風情やったでしょうか。水上交通の便が良く、見晴らしの良い丘の上。重要な施設が構築される条件には恵まれちょりました。
今、上町筋 という南北の道路があります。その道路が、台地の尾根筋の道でしょうか。写真は、難波宮跡から上町筋を渡り、西へと向かう道路。写真でわかりづらいですけ んど、向こうに、ずうっと下っていっちゅうがが見えますですろうか。車が走りゆう所へ一段下ったあと、その向こうで更にもう一段下っていきます。この左右 の家々がなかったら、ここは見晴らしの良い丘の上。普段、電車に乗ったり車に乗ったrしちょりますと気付きにくいですが、地形を注意して見てみると、太古 からの歴史が体感できます。
この上町台地のもうちょっと南に四天王寺があります。ご存知聖徳太子建立の、日本最古の官寺。台地上は、5世紀の高床式倉庫群があったように古代から重要な土地でしたが、四天王寺ができてから、更に栄えるようになりました。
四天王寺の西大門から西へ、難波津へと下っていく坂道が「大坂」。現在の大阪の名称は、その、上町台地から西へ下って行く坂道の名前からきちゅうのであります。
難 波宮の跡には、明治7年、帝国陸軍歩兵第8連隊が置かれました。不平士族の氾濫鎮圧、西南戦争従軍から始まって、太平洋戦争終戦まで、結構活躍もしちゅう 連隊ですが、大阪の連隊ということでイメージが先行したがか、「またも負けたか八連隊」と囃されたりしました。実際はそんなに弱くはありませんでした。
「大阪の歩兵八連隊は弱いので有名だったけれども」と石原慎太郎がしゃべったのは、自分のカラ知識だけですべてを図る彼らしい言葉ではあります。
ともあれ、皆さん、ぜひぜひ、地形を体感しながら街をたつくってみてください。太古の昔にトリップできます。


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