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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

府内城址、入れ替わり立ち替わりの歴史〔3886〕2013/12/05

府内城址、入れ替わり立ち替わりの歴史

2013年12月5日(木)大分は晴れちょります

今朝は大分。大分県の大分市。九州に来ちょります。弊社社員さんと一緒に車で。う〜ん、車で来ると遠いっすね、大分。昨日のお昼前11時に会社を出発、坂出駅前に車を停めてマリンライナーで瀬戸内海を渡って岡山県の児島へ。そっから車で一路九州を目指してひた走る。
結局のところ、大分市に到着したのは夜の7時半。なかなか遠い。

昨夜は、大分の駅前に泊まりましたので、ホテルからちくと歩いて街中へ行き、地鶏のおいしいお店でグッスリやりました。そしてホテルへ戻り、さあ、iPhoneを充電充電。ん?
ない。
その地鶏の美味しいお店に忘れてきちゅう。
そんな訳で、ランニングスタイルに着替えて、往復2km、小走りで取りに行ってきました。お陰さまで、大分の夜の風景を堪能できました。はは。

今朝は、市内をRUN。ここは市役所、県庁の近く、府内城址。天守台の上。かつては別府湾に面しちょったという海の城ですき、平地に築かれたそれほど高うない天守台の夜明け前。豊後、府内藩の府内城。土佐とは全然違う成立ちと経緯をもつ豊後は興味深いですな。

土佐は、長宗我部氏が統一してから、山内氏の時代を通じで、ひとつの国。長宗我部氏と山内氏以外の殿様が存在したことはない国。ところが豊後は違いますね〜。
大友宗麟の時代、長宗我部と同じように九州のかなりの部分を支配しながら、島津に攻め込まれ、秀吉によって、なんとか豊後一国を安堵された大友氏。秀吉によって一国を安堵されたのは、長宗我部氏と同じ。こっからが違います。
大友義統は、朝鮮出兵の際に秀吉の怒りに触れて豊後没収。そして豊後は細分化されて秀吉家臣に分けられたのでありました。関ヶ原が終わって徳川時代になっても細分化時代が続き、結局明治まで続いたのでありました。
いわゆる8藩7領と言われた、アレですな。今の大分県が、8つの藩と、他国の領主が所有した7つの領があったとうアレ。日田は天領ですし。

この写真の府内城があった府内藩は、今の大分市界隈で2.12万石。他には福沢諭吉の中津藩とか杵築藩とか臼杵藩とか。細分化されたもんです。
で、ここ府内藩の殿様がこれまた複雑。入れ替わり立ち替わりの歴史。城址にそれを説明した案内板がありました。まあ、複雑。
元々、1597年に福原直高が築城開始。1599年、完成を待たずに領地没収で中断。替わってやって来た早川長敏も関ヶ原で西軍についたのでお取り潰し。1601年、竹中重利が封ぜられ、築城を再開して1602年に完成。この天守台は、その際にできた石組みの上。で、府内城下町も、そのときにできました。豊後最大の城下町。

入れ替わり立ち替わりの歴史はまだまだ続きますぞね。
長崎奉行を兼務しよった竹中重義は、1634年、非違を咎められてまたまたお取り潰し、断絶。栃木から日根野吉明が入封するも、後継ぎがなく、一代で断絶。

う〜ん、お祓いした方が良いぞ、これは、というくらいの状況ですな。
そこで、松平(大給)忠昭が新藩主になりました。1658年。これでやっと定まり、幕末まで続いたという訳です。この歴史を覚えるだけでも大変。こんなこともあるがですね。大分県民は、郷土の近世史を勉強するがはオオゴトですな。藩、領の場所と名前、そして歴代の殿様。
そんな複雑であったということは、小生も知りませんでした。

そんな大分、府内城址の朝を過ごし、お客様のところでお仕事を済ませ、また、車で帰りよります。まだ、大分県。高知へイニ着くがは夜になりそうです。


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