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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

広島、比治山の風景と福島〔4706〕2016/03/04

広島、比治山の風景と福島

2016年3月4日(金)曇っちょるけえのう

そんな訳で今朝は広島。昨日のお昼から、広島へ来ちょります。流通業界の会合。その会合での記念公園の講師は、元阪神タイガースの川藤幸三さんでした。阪神タイガースOB会長で、タイガースの想いを後輩たちに伝えていくことを使命ろ心得る好漢。以前に講演を聴いた衣笠祥雄さんもそうでしたが、野球選手、パワーポイントなどをまったく使わずに喋るんですが、実に話が上手い。一時間半、まったく聴衆を飽きさせない。いや、すごいもんです。

さて。
今朝は比治山界隈をたつくってきました。
今まで、広島に泊まった際には広島城や市民球場跡地や平和公園や広島港などをたつくってきました。が、比治山は、今回が初めて。
比治山というのは、広島の市街地の東側にある、標高70mの小高い山。てっぺんにテレビ塔みたいなのがあるので、平坦な広島市のランドマークと言えるかも知れない。

昔。縄文時代から人が住んじょったとされる、比治山界隈。その頃は、浅瀬に浮かぶ島。太田川が運んでくる土砂が堆積し、徐々に陸地化していった、界隈。
現在、比治山から海までは3kmばかしありますが、藩政期が始まる頃まで、この南側まで海であったと言います。そんな比治山。

平和大通りを東進し、まだ真っ暗い比治山の車道を駆け上ってみました。比治山は、原爆の際、爆心地から1.8km。西側、つまり爆心地側は、原爆によって壊滅しました。しかし東側は、山が爆風や光を遮ったので、被害が少なかったと言います。なので、被爆した大勢の市民が逃げ込んだという、比治山の東。
比治山のてっぺんにはテレビ塔があり、その横に陸軍墓地。明治期に陸軍墓地がつくられ、公園として整備された比治山。市街地に近い里山ですが、藩政期には、藩有林として管理されたので、里山なのに禿山みたいにはなっちょらんかった、そんな比治山。

真っ暗い陸軍墓地は、なかなかの雰囲気でした。その横には「放射線影響研究所」という大きな施設があります。写真は、テレビ塔横の運動場から広島の市街地方面を撮影したものですが、手前の大きな施設が「放射線影響研究所」。
元々、昭和24年につくられた「原爆傷害調査委員会(ABCC)」。アメリカが設置した、原爆の傷害実態を調査する為の民間機関。そのABCCが、厚生省国立予防衛生研究所と一緒に再編され、日米共同出資運営方式で財団法人として設立されたのが、放射線影響研究所。なんか、夜の闇に浮かび上がる、すごい雰囲気の建物だ。

放射線が人体に与える影響を研究する施設なので、今回の東日本大震災でも、重要な役割を果たすということ。

間も無く、あの大震災から5年。小生が、南相馬の同業、松永牛乳さんにお邪魔したのは、震災から4ヶ月後の、2011年7月13日でした。あの時、工場から南へ少し行った場所が、原発事故による立ち入り禁止エリアの入り口になっておりました。今も思い出しますが、その、立ち入り禁止エリア入り口の脇に、コンビニがありました。もちろん置いてあるものは少ないですが、キチンと営業されておりました。禁止区域内で作業をされる方々が、そこまで食料などを買いに来る、とのことでした。

ついこないだ、新聞で、福島第一原発の中に、コンビニが開店した、という記事が載っちょりました。7000人の作業員が働く、原発。廃炉作業などに、膨大な人手が必要なんですな。
記事によると、できたコンビニはローソン。
小生の記憶では、5年前、立ち入り禁止区域入り口にあったコンビニはセブンイレブンやったと思います。

福島も、廃炉などの作業を進めつつ、放射線の影響などを研究する施設として生まれ変わっていくしかないんでしょうか。
そんなことを考えさせられる、比治山山頂の風景。


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