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段丘崖の上と下〔4744〕2016/04/11

段丘崖の上と下

2016年4月11日(月)薄曇り

春の朝。月曜日。ここは、朝5時前の野市、上岡八幡宮さんの南東。その向こうが一段高くなり、その段差の上に狛犬。そこから向こうへ伸びる参道を進むと、上岡山。石段を上がって上岡八幡宮。

一昨日、東京、品川駅前の柘榴坂のことを書きました。東京には、あんな坂、実に多い。多い理由は、東京という都市が、洪積台地と、その台地が侵食された谷によってできているから。更新世に、海水面上昇で海底になり、堆積した土砂が、海水面低下で陸上となり、数万年〜数十万年という年月で固められた小高い台地が洪積台地。河川の侵食で、起伏に富んだ地形となっています。

そんな土地に、徳川家康は、江戸という都市を作った。
古代ローマは、七つの丘がある場所に建国されました。江戸も、同じく、七つの丘がある場所に作られたと言えるのでありますね。以前にも書きましたが。
で、柘榴坂のある台地は、七つの台地の一つ、淀橋台の南端。淀橋台は、下末吉台地と一般に呼ばれる、今から12万年くらい前に堆積してできた台地と言われちょります。地盤が固いので、谷が深く、起伏が激しい下末吉台地。麻布とかの急坂が特徴的な下末吉台地。

同じような成り立ちの台地で有名なのは、大阪の上町台地。かつて、大阪湾に南から北へ半島のように突き出しちょった台地。台地の北端が大阪城。台地の下は湿地帯で、防御に優れた台地の上のお城は、唯一の弱点が南側の台地の尾根。そこに築かれたのが真田丸、という訳だ。

同じ成り立ちが、名古屋の熱田神社。あの神社も、更新世に形成された地盤の上に鎮座まします。洪積台地である下末吉台地の南端に、熱田神宮。その台地を北へ行くと、北端に名古屋城。台地は、東の山へと繋がってゆく。伏見通りは尾根道にかありません。

段丘の上と下。高低差があり、段丘崖になっちょったりするので、そこには必然的に坂道ができる。東京や大阪に坂道が多いのは、そんな訳だ。
何故、人類は、古代ローマの昔から、そんな起伏の富んだ場所に街を作り上げていったのか。これはなかなかに面白いテーマだと思います。

で、典型的なパターンというものがあって、台地の上には、宗教的な施設が作られることになります。上町台地の北端は、大阪城になる前は石山本願寺でした。名古屋では熱田神宮。
東京でも、上野の寛永寺、芝の増上寺、神田明神などなど。台地の端にあり、段丘下から斜面を上っていくのがアプローチになる。これが基本。
で、台地の上には、寺社、上級武士の屋敷などが並び、谷底の低地には、繁華街が形成されてゆく。これがパターン。

では、高知は。
高知の市内、坂道ないですよね。そう。高知の城下は、海岸平野、三角州と言われるような場所に作られたので、更新世の台地は、ない。なので、柘榴坂のような坂が、街中には無い。段丘崖をアプローチにした宗教施設も、中心部には無い。

写真は、野市の上岡八幡宮さんのアプローチ。
ここは、更新世にできた台地の端っこ。
狛犬の見える境内の地盤は、台地の上。その左側は石垣になり、石垣の下と狛犬では、4mほどの落差があります。段丘崖だ。
ここから狛犬までが、段丘の下から上へと上がっていくアプローチ。高知の城下にはありませんが、ここ野市の洪積台地や、長岡台地という洪積台地には、その台地の端に、このような宗教施設が見えます。

台地の上は、地盤が固く、水害や津波に強い。台地の下は、水の便が良く、農耕や水運に適し、また、平坦で広い場所が確保しやすい。
そのメリットの組み合わせで、起伏に富んだ場所に、都市が形成されていったのか。段丘崖の上と下では役割が違うのでありました。


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