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101年後の赤鉄橋〔4775〕2016/05/12

101年後の赤鉄橋

2016年5月12日(木)晴れ!

良いお天気。今朝は中村。と、申しますか、四万十市。中村市が四万十市になって、もう、11年経過する。そんなになるのか。でも、やはり中村は中村だ。
中村市が西土佐村と合併して四万十市になったのが2005年4月。西土佐村も「市」になった訳ですな。

昨夜は、その西土佐村で、スペシャルなものをご馳走になっておりました。
昨日の朝、関西からの大切なお客様をお迎えし、まずは県東部の安田町へ。それから引き返し、今度は西へ走って中土佐町久礼へ。そこから四万十町十和。そして四万十市西土佐。西へ東へ大忙し。
スペシャルなもの、とは。貴重な貴重な四万十の幸。ああ。こっから先は、言えない。なんせ、スペシャルだもんで・・・

その西土佐で食べて飲んで、そのまま中村に移動して宿泊。良い1日でした。中村までの40分間、車の中で深い眠りに落ちてしまった。至福の夜。

さて。今朝は中村をたつくってきました。いつものように佐田の沈下橋まで走る勇気はなく、不破八幡宮さんとか、四万十川沿い。割合に、近所。

赤鉄橋。最近、たぶん耐震補強工事とともにペンキが塗り直され、赤い色が一層鮮やかになった、赤鉄橋。正式には四万十川橋(渡川橋)というにかあらん。大正15年に架けられた、中村のシンボルとも言えるような、橋。
この橋を架けることになったきっかけは、以前にも書きました。大正4年5月12日のこと。

ああ。今気づきました。今日は5月12日だ。つまり、今から101年前の、今日。この赤鉄橋界隈にあった、渡し舟で起きた、悲しい事故。
当時の渡川は、橋がなく、渡し舟が唯一の交通手段。で、増水したら、何日も渡ることができんなった、渡川。四万十川。

その日は、今日と同じような良いお天気であったと言う。しかも、今朝の四万十川と同じように、前々日からの雨で増水していた。
その日の、中村町の方から具同村の方へ渡る渡し船には、定員の40名を超える60名ほどが乗っていました。その多くは、具同村の桑畑へ、桑の葉っぱを採りに行く、幡多郡立実科高等女学校の女学生であったそうです。
その渡し舟が、川の途中で転覆。今朝の四万十川と同じように、かなりの水量の水が勢い良く流れておったのでしょう。

全員、川に投げ出され、女学生4名、中学生1人、一般乗客6人の、合計11名が犠牲になったと言います。

この悲しい事故がきっかけになり、渡川に橋を架けよう、という気運が高まって、大正15年に完成することになった訳です。
当時としては四国最大の橋。全長438m。当時の人々にとって、夢の大橋であったことは想像に難くありません。

昭和21年の南海地震で、その赤鉄橋が落下。橋桁からトラス部分が落下している写真が残りますが、かなり衝撃的な写真ですね。
そして昭和22年6月に復旧工事が始まり、翌年の8月に竣工。

増水した四万十川の上に架かる美しい赤鉄橋。
この赤鉄橋を架けるきっかけになったのが、丁度、101年前の今日、今日と同じような良いお天気の中、前々日来の雨で増水し、濁流流れる四万十川を渡る船で起きた悲劇であったのか。

赤鉄橋の、朝。


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