東海道新幹線を走ったマルーンカラー〔8267〕2025/12/03
2025年12月3日(水)晴れ!
暖かいのもどうやら今朝まで。南国市、今日の最高気温も12℃までしか上がらず、今晩から冷え込んで、明日朝は0℃の予報。いよいよ、冬。僕の好きな冬がやって参りました。
さて。幾度か触れてきた「鉄道手帳2025」の記事。この手帳のカレンダーには、過去のその日におきた鉄道関係の事柄について書き込まれています。が、11月25日以降は、何故かその日とは関係のない「豆知識」が書き込まれています。そして12月2日、3日の「豆知識」には、知らんかった興味深い話が書かれていました。いや、鉄分の濃い方にはお馴染みの話題らしいけど、そこまで濃くない僕にとっては初めて聞く話。面白いねー。
この鉄道手帳の「豆知識」には、こうかかれています。
「東海道新幹線の線路を最初に走ったのは、じつは新幹線ではなく阪急電車」
いったいこったいどういことか。阪急阪神ホールディングさんのこのページに詳しく書いてました。要約すると、
1964年10月、つまり東京オリンピック開催に間に合わせて開業することを目指していた東海道新幹線。そのルートは、大山崎のところで阪急電車と並走することになる。地形図で、ここが阪急大山崎駅、ここが阪急上牧駅。そう。幾度か書いてきたように、淀川を挟んで東西から山が迫り出してきており、ボトルネックのような地形になっているのが大山崎。すべての道路、鉄道がここに集まって通らざるを得ない場所。
で、淀川沿いの軟弱地盤でもあり、新幹線は盛土高架で建設されることとなりました。ところが、そうすると、隣接する阪急電車の路盤が沈下する恐れが発生。さあ、どうするか。
考えました。阪急も、高架にしよう。しかし、上のような地形なので場所が限られ、阪急電車は既存線の上に高架をつくる必要がある。そこで、先に新幹線の高架線路を建設し、そこに阪急電車を走らせる。その間に阪急の高架工事を行って、完成したらそちらに戻す、ということを考えたのでした。エラいねー。
これ、阪急電車の線路幅が標準軌1435mmで、新幹線と同じだったからできたこと。阪急は直流で新幹線は交流やけど、電気は工事でなんとかなりますきんね。
そんな訳で、1963年4月24日、あのマルーンカラーの阪急電車が東海道新幹線の線路を走ったのでした。阪急の高架が完成するまでの8ヶ月間のこと。この写真は、新幹線線路上の仮設阪急駅。なんと、反対側ホームへは構内踏切を渡るという土讃線ローカル駅ではお馴染みの方式だったので、新幹線の線路を歩いて跨ぐ、という今では考えられない風景も見られたとか。すごいね。
この、両側から山が迫る地形が故に、すべての交通インフラが集中せざるを得ない要衝であるが故に、山﨑の合戦が天王山の戦いとなり、おいしいウイスキーが醸造され、新幹線を阪急電車が走ることになった訳だ。
関西の私鉄が標準軌でなかったらできなかった芸当。それにしても考えたねー。知りませんでした。
世の中知らないことだらけ。
