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朝倉城址より土佐の国を見渡す〔228〕2003/11/30

朝倉城址より土佐の国を見渡す

2003年11月30日(日)曇り

今日は日曜日。鏡川を遡行して、朝倉界隈を走って来ました。

先日、にっこりひまわり[201]で、戦国時代の長宗我元親の居城「岡豊城」跡をご紹介しましたので、今朝はその少し前の時代の土佐中央部の覇者本山氏の居城「朝倉城」跡まで登ってきました。

戦国時代中期に、土佐の山中嶺北地方を中心に勢力を伸ばして来た本山梅慶(もとやまばいけい)は、中原に進出、ここ朝倉に当代随一の城を築いて、土佐の制覇を目前にします。1540年の頃ですね。

その後、岡豊を根城にした長宗我国親(元親の父)が勢力を増し、本山氏と対峙します。1555年に梅慶が亡くなったあと、浦戸湾の制海権を巡って対立が深まっていきます。梅慶のあとを継いだ本山茂辰(しげとき)と、国親のあとを継いだ元親の間で激しい戦いが繰り広げられ(朝倉合戦)、戦況は徐々に元親に有利となっていきました。

本山茂辰は、この朝倉城を守りきる事は不可能と判断し、城を焼いて元の本拠地嶺北の本山の地へ引き上げていきました。その後、1568年頃に、長宗我元親に完全に制覇されてしまいます。

写真は、その朝倉城の詰の段。天守があったところですね。ここからは、高知の中心部から香長平野が一望の元に、すべて見渡せます。下からこの山を見ただけでは、何故ここを本拠としたのかよく解らんのですが、登ってみれば理解できます。

そして、ここからは、遠く、逢坂の山の向こうに、かすかに岡豊の山も見えるのであります。元親の居城が見えるのであります。それに気付いた時、ここを焼いて引き上げるときの茂辰の感情を、少し共有できた気持ちになれたのであります。これこそ、歴史を学ぶ、ということやと偉そうに思うたのであります。


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