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朝の宝永町で、新地線の電車を考える〔2396〕2009/11/06

朝の宝永町で、新地線の電車を考える

2009年11月6日(金)快晴!

今日は高知へモンちょります。ここは今朝の宝永町。電停の西から、東方面を撮影してみました。はりまや橋のデンテツターミナルビルの1階、ちょっと奥まった所の壁に、このアングルの、昔の風景画があったと思います。記憶がさだかぢゃあないですけんど、土電が走るこの界隈は、左手の白い建物の場所に施設が建つだけで、のどかな田園風景。右手に土電の車庫が書かれちょったと思います。

稲荷新地へ通じちょったという路線は、もっとだいぶ向こうから引き込まれちょったがでしょうか。昭和8年の地図を見てみると、今の知寄町二丁目の電停界隈に「新地通」という電停が見えます。

そっからまっすぐ南へ、川に突き当たる所まで、新地線が走っちょったみたいです。

稲荷新地は、明治大正から昭和の初めにかけてこぢゃんと栄えた街。料亭が立ち並び、陽暉楼もありました。が、地図を見ると、街になっちゅうがは川沿いのエリアだけで、ちょっと北へ行けば全部田んぼ。見事に田んぼです。この写真の界隈なんぞは言うまでもなく一面の田んぼ。

で、稲荷新地の芝居小屋とかで、自由民権運動の演説会が頻繁に開催されました。明治の10年代。公会堂とかが無いので、もっぱら使われたがが芝居小屋。小屋と申しましても、結構収容人数の多い場所もあったようで、大盛況やったそうです。新地から舟を漕いだら丸山台にもしゅっとですし、板垣退助さんの家もすんぐそこ。繁華街であると同時に、自由民権の香りが充満しちょったエリアでもありました。

明治40年、昭和8年の地図を眺めると、川沿いだけに街ができていっちゅう様子が見て取れます。つまり、一般的な移動手段はたぶん舟やったと推察できます。陽暉楼とかの映画では、あと、人力車も活躍しよりますが。

稲荷新地へ遊びにいくには、郭中に住む皆さんはもちろん、周辺の村々からやってくる皆さんも、一般的には舟を利用しよったでしょうか。

電車の新地線ができたがは明治44年やそうです。停留所は「新地通」と「新地」だっけ。途中は田んぼしかないので当たり前ですが。大正から昭和初期に新地へ遊びにいくには、電車を利用した方も多かったでしょう。

遊郭へ遊びに行くがやったら、電車よりは舟の方が風情がありますな。遊郭へ電車で遊びに行く、というと、妙に貧乏ったらしい感じがせんでもありませんな。


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