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野市野々宮社地問題顛末〔2613〕2010/06/11

野市野々宮社地問題顛末

2010年6月11日(金)高知は快晴ぜよ

やっと高知へモンて来ました。やっぱし高知は落ち着きます。暑い一日になりそうな金曜日の朝。

ところで一昨日、「こないだ亡くなったつかこうへいさん」などと書いてしまいましたが、生きちょります。まことにもって申し訳ございません、つかさん。亡くなったのは井上ひさしさんですね。何を勘違いしちょったがでしょうか。まことにもって申し訳ないです。

さて、ここは今朝、日の出直後の野市。今年3月15日にご紹介した、野中兼山さん開鑿の水路に架かる兄弟橋の東側。ここに鎮守の森とお宮さんがあります。野々宮神社。

源平合戦の頃、土佐はどちらかと言えば平家方が優勢な地方でございました。平治の乱の後、頼朝の同母弟、源希義さんは土佐へと流刑になっちょりまして、介良に住むことになりました。毎朝のようにひまわり太郎が自転車で通過する界隈。で、伊豆で頼朝が挙兵すると、弟の希義さんも同調して兵を挙げ、数少ない土佐の源氏方、夜須の夜須七郎さんと合流を図ります。いや、たぶんですね、頼朝挙兵で希義も挙兵するかも知れん、ということで、土佐の源氏勢力が希義さんを封じ込めようとしたのに、機先を制して挙兵、合流を目指したというがが真相かも知れません。

しかし、希義さんは南国の年越山で平家方軍勢に討ち取られました。合流しょうと、夜須から駆けつけよった夜須七郎行家さん、ここにあった野々宮の森まで軍勢引き連れてやって来ちょりましたが、希義討ち死にの報を聞いて、こっから夜須へと引っ返したそうです。

野市が栄えるようになったのは藩政期の野中兼山さん以降。それまではこんな水路もなく、森と原野があるばかりやったと思いますが、藩政期から、村人達はここにあった小さな祠を立派な社殿にして崇敬、キチンとお祀りしてきたとのこと、御祭神は野槌神さん。

この神社で特筆すべきは、境内に建てられちゅう石造りの「社地問題顛末」という大きな碑。この神社の社地を巡る隣地の方との所有権争い顛末を、なんと石に刻み込んで後世への戒めにしちゅ訳です。図面入りで。なかなかたいちゃなもんですな。


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