大好きな鉄道区間〔2848〕2011/02/01
2011年2月1日(火)シビコオル
今朝もシビコオリましたね。昨日よりはちょっとだけマシな気もしましたが、どっちにしましてもシビコオリました。こんなに冷やい日が続くがも珍しいです。
今日から2月。なんと、高知市内では、1月の降水量が0やったそうです。ひとっちゃあ降りませんでした。どうなっちゅうがでしょうか。日本海側は豪雪で大変なことになっちゅうみたいですけんど。
さて、今日は汽車に乗って岡山へ向かいよります。特急南風。珍しく、先頭車両の前の端の座席に座りましたもんですきに、進行方向の景色を楽しむことができて電車でGO気分です。
なかでも、土佐山田駅と繁藤駅の間、スイッチバックで有名な新改駅界隈は、土讃線でも、たぶん一番険しい山中の線路で、ちょっと怖いくらいの前方の景色です。よくぞこんな場所に線路を敷設したもんぢゃ、と、先人の偉業に感心してしまいます。クネクネクネクネと急カーブがつづき、トンネルが次から次へと現れます。こうやって見てみると、複線化などという発想は、思いもよりませんな。この、汽車が通るだけでいっぱいいっぱいの小さいトンネルを見れば、電化するがも絶対無理。ヂーゼル特急南風は、特急とはいえ、慎重にゆっくりと山を登っていきます。土讃線で、ひまわり太郎が一番好きながは、実はこの区間ながです。
一昨日からの雪でしょうか。四国山中は、高知ではないような白い雪景色になっちょります。線路の上にも降り積もっちゅうので、まるで異国のよう。
土佐山田と角茂谷の間が開通したがが昭和5年で、阿波池田の方へ抜けれるようになったがが昭和10年。そんな時代にすごい工事をしたもんです。
国は、高知までの鉄道を、どっからどのルートで通すか、明治の時代に色々と検討しちょります。今の国道33号線沿い、松山へ抜けるルートも、その候補でした。結局、今の、阿波池田を通って高松へ抜けるルートに落ち着いた訳ですが、松山高知ルートも捨てられたということではなく、そのうちに通そう、ということやったがにかありません。で、その線路ができるまでの代替輸送、ということで国鉄バスが走りよった訳です。皆さん、西佐川駅、他の駅に比べて不釣り合いに広く大きいと感じませんか?
そう。西佐川駅を起点にして、松山へ線路がつながる予定やったがにかあらんがです。自動車の時代が訪れ、そんな計画もなくなってしまいましたが、その痕跡が、大きい西佐川駅ということになります。
しかし、自動車のない時代、汽車という交通手段は夢の交通手段やった訳で、こんなものすごい山中に、最先端の技術と苦労を重ねて線路を敷設していった努力には、頭が下がります。