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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

土佐の南北朝と戦場跡〔2849〕2011/02/02

土佐の南北朝と戦場跡

2011年2月2日(水)良いお天気

昨日一昨日の朝があまりにもシビコオったので、今朝の寒さはそれほどにもなく感じました。ですけんど、冷やいことにはかわりありません。

今日も、ご覧のように良いお天気。ちくと用事があって、高知市役所へ行っちょりました。市役所の正面玄関前に、このような碑が立っちゅうがをご存知でしょうか。「大高坂松王丸の記念碑」と刻まれた自然石の碑。以前にもご紹介したことがありますね。

南北朝の合戦の頃、土佐では北朝が優勢でした。しかし、南朝方についた豪族も多く、入り乱れての混乱状態になっちょったにかありません。そんな中の1338年、後醍醐天皇の皇子、満良親王が、土佐へやってきます。

土佐南朝方の雄は、現在の高知城がある山、大高坂山に本拠を置く大高坂松王丸さん。勢いを得た南朝方は、反撃にでますが、1340年、升形の、現在の出雲さん界隈に布陣した北朝方との決戦となり、松王丸さんの城は陥落、南朝方は敗北したのでありました。

松王丸さんをはじめ、この界隈で戦死したヒトも多かったと思われます。で、その合戦から500年が経過しょうとしちょった1829年、この近くで、戦死者を供養する碑が出土したそうです。今の筆山、そしてこの市役所、県庁界隈が、激戦地やったと思われます。1829年の頃は、市役所の辺りは家老級の武士の家。家の立て替え工事でもしよったがでしょうか。

ここには、大高坂神社とされる小祠もあったそうで、戦死者や、松王丸さんの霊を慰め、鎮めろうとしちょったことがわかります。

市役所、県庁の建物は、そんな、大量の戦死者が出た激戦地の真上に建っちゅうがかも知れません。と、こんな話を書くと、あの建物で、夜中にヒットリ残業するがが怖うなってきたりしませんか?


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