「平和橋」は両岸の平和〔8161〕2025/08/19

2025年8月19日(火)晴れ!
今朝は仕事で岡山方面。早朝ひと仕事済ませてから、国道32号戦を坂出まで走り、マリンライナーで岡山。早朝の国道32号戦は、僕の好きな道。
先日、天然記念物に指定されている「杉の大杉」の幹が折れた、というニュースがありました。樹齢3000年ともいう、もしそうならこれも縄文時代から屹立していることになる、杉。まあ、正確な樹齢はわかってませんが。
どんなになっているのか、見に寄ってました。久々に見たけど、デカいねー。これはもう、神様がいらっしゃるとしか思えない立派な杉。根っこがつながった二本の巨大な杉の、南側の杉から幹が剥がれ落ちて、転がってました。まあ、致命傷ではないようなのでひと安心。やけど、この大杉、いつ倒れてしまうかは誰にもわからない。頑張って欲しいねー。
写真は、その大杉のある大杉駅から二つ手前、角茂谷駅の前に架かる「平和橋」。以前にもご紹介したことのある美しいトラス橋。昭和5年架橋。
そろそろ世相がきな臭くなってくる時代なので「平和橋」と名付けられたのか、などと以前考察したけど、違ってました。
この美しいトラス橋は二代目で、初代は明治39年、地元出身で米国で成功していた佐藤精郎さんという篤志家が、私財を投じて架けたという鉄線吊り橋だったそう。
「大豊町史」によると、この穴内川の両岸にあった4つの小学校、分教場が統合され、左岸に「天坪尋常小学校」ができたのが明治32年。
右岸の子供達は、渡し船で川を渡って登校するしかなくなり、少し増水すると、登校できない。通学率は非常に低かった。そんなこんなで、両岸の住民感には確執が生じたとのこと。
佐藤翁の尽力で橋が架けられ、子供達も便利に通学できるようになる。で、両岸の確執解消を願って「平和橋」と名付けられた、という説もあるらしいね。日露戦争が終わった時代を反映して「平和橋」になった、という説もあるらしいけど、日露戦争後の日本人の戦勝気分からして、両岸確執解消説の方が信ぴょう性が高いと、僕は思います。
そして明治5年、土讃線が通って角茂谷駅ができるに際し、この美しいトラス橋が架けられたのでした。こちらから見るとわからんけど、このトラス橋はポニートラス。両端だけで、屋根がないのね。
初代は24年でこの二代目になり、この二代目は、今年で95歳。幾度も書いてきたけど、この時代の土木建築って美しいねー。そして、頑丈。時代を超えて、世の中の役に立っている、土木遺産。