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今日のにっこりひまわり

津波〔2889〕2011/03/14

津波

2011年3月14日(月)薄曇り

地震から2夜開けました。まだ、新たに爆発が起こったりして、惨事は続いています。

今日の写真は、赤岡、飛鳥神社の碑。以前にも一度ご紹介した、安政の南海地震の様子を石に刻み、後世への戒めとした碑。撰文は、国学者で役人であった徳永千規さん。昨年、その碑文を現代文に読み下し、土佐弁にしたものを、ライターの渡辺瑠海さんが講演のなかで紹介してくれました。その講演録がありましたので、ここで紹介させて頂きます。

まっこと油断大敵とは深い意味があることやき、どんなことがあってもこれを肝に銘じちょきや。安政元年11月のことよ、朝5時頃、こりゃあいつもと違うぞと思うばあの地震が来て、岸本浦は差し引き海が10間ばあ沖に引いた。それから手結の港らあも干上がって、浜はウナギを手づかみに来た人らあでものすごい混んじょったがよ。その日はこんまい地震が2、3回あったけんど、誰もそれほど驚かん程度のもんやった。でも、どういたことか。次の朝の8時過ぎ、大きな雷みたいな音を堂々と立てて大地震が来たが。こりゃあめったと人々はおののき、驚いて逃げたけんど、もう遅かった。家も塀も器物も崩れ落ちて、あっという間に大惨事になった。逃げようと思うても、めまいがして身動きもとれん。這いもって家を出たら、あっという間に津波が来て、この辺は徳善町から北の田中、赤岡の西濱並、松の本、吉原は庄屋の門までどっと水が来た。川を上ってきた津波が赤岡神輿休のほとりまで押し寄せて、古川堤、夜須堤もぷっつりやられて、夜須の町家は半分以上海に流されて消えていった。人々は年寄りを助けもって、幼子を抱いて、泣き叫びもって、王子須留田や平井大龍寺の山へと逃げたり登ったりして、ようよう命拾いしたことやった。この地震で土佐中の官舎、民家がざまに倒壊して、高知の下町、幡多、中村では火事で町が丸々消失し、けが人や死人が何百人と出て、一体全体どれっぱあの数やったか、数えることもできんほどやった。しかし、何とも幸せなことにこの赤岡の地は神のご加護によって、1人のけが人も出さず、かの山々に小屋を構えて避難生活を続けた後、地震がようよう治まった頃に神に感謝しもって各人の家に戻ったことやった。宝永4年の大地震は今から148年前に起こったもんやき、次の大地震はこれっぱあ後にならんと起こらんろうというもんもおるけんど、次何がいつ起こるからあて予測はあらかじめらあ不可能ぞ。とにかく油断大敵でおってくれ。このことを心にとどめちょけば、例え今大地震が来てもおろおろするこたあないがやき。安政の人は、宝永の地震を昔話のように思いよって油断の大敵におうた。だから、後世の人々よ、この安政の大地震をまた昔話のように思うて油断せんようにしいよ。これを石に彫り、このお社とともに動きなく、萬歳の後世に伝えようと思い立ったのは、赤岡の人々のりっぱな真心によるもんです。私、徳永千規はたまたま高見の官舎におってこの大地震におうたがやけんど、そのことをぜひ書いてくれとお上に頼まれて、ここに記録させてもろうたき。あなかしこ

以上が碑文の読み下しです。

先人の戒め、そして、たぶん今回は、その戒めをも超える自然の猛威に晒された訳です。今一度、こういった教えを我が身の血と為し、肉と為さねばなりません。


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