「平成普請の記」には「続」がありました〔8350〕2026/02/24
2026年2月24日(火)晴れ!
昨日、アクトランドのこと書いたので、今日も北村さん関連。高知が誇る世界的企業、技研製作所の創業家、北村家のお話。
北村さんちは赤岡。須留田八幡宮さんの横。そんなこともあって、過去、幾度も幾度も須留田八幡宮さんに浄財などを御寄進されておられます。
最初に見えるのは1976年で、一般の寄進者にならんで5万円。1984年のご寄進は、赤岡町農協と並ぶ200万円也で、一気にトップに躍り出る。そして。1997年のご寄進は「特別寄進」になってて、もはや金額も刻まれておりません。因みに北村家の次のご寄進が200万円也なので、それよりは多いことはわかります。恐らくは桁違い。これが「平成普請の記」と刻まれている1997年の社務所や参道整備のご寄進。
ここまでのことは、2016年1月のにっこりにも書いてますね。実はこの話には続きがあるのでした。
現在、その「平成普請の記」と刻まれた花崗岩の石板に並んで「続 平成普請の記」という大きな石板が建っています。建立されたのが2019年、平成31年3月。平成はその年4月で終わり、5月からは令和になってるので、ギリギリ「平成普請」に間に合いました。この際も、北村精男さんは「特別寄進」。いや、ホント、すごいです。
ちなみに、「平成普請の記」で土地をご寄進、「続 平成普請の記」でも高額のご寄進をされているのが、神社隣地にお住まいで、弊社の元工場長、Nさん。地元への貢献、頭が下がります。
この神社、今はもう無いけど、以前は拝殿中央に直径二間のろくろ式回り舞台があって、地芝居が盛んに行われていたとのこと。なるほど。
手元の、1976年発行「高知県百科事典」によりますれば、地芝居(農村歌舞伎)は、藩政期から土佐の村々で盛んに行われ、村民最大の娯楽のひとつであったようです。但し、「地芝居」は一般的には「禁止」。なので、高知の城下では明治になるまで「禁止」されてたけど、農村では、神社の祭礼、奉納という名目で行うことが許されてたようです。
実は。地芝居最盛期は、明治中期~末期。藩政期を通じて盛んになり、ピークを迎えるのが明治末期。で、1976年現在でも廃絶されているものも含めて101棟の「舞台」が確認でき、うち47棟が回り舞台というから、すごい。
現在でも、「八代の舞台」とか「高野の舞台」では、その回り舞台を利用した地芝居が奉納されています。国指定の重要文化財。
回り舞台はなくなったけど、絵金が描いた芝居絵屏風はたくさん須留田八幡宮に奉納されており、須留田八幡宮神祭で、幽玄な雰囲気の中、見ることができるのであります。
