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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

あれから1ヶ月〔2917〕2011/04/11

あれから1ヶ月

2011年4月11日(月)晴れ!

一ヶ月経ちました。復旧にはほど遠く、それに原発事故が重なって、大変な状況は続いています。写真は、3月14日にもご紹介した、赤岡、飛鳥神社の安政地震碑。この上に書かれちゅう漢字2文字は、右から、「ちょうひ」と読むそうです。意味は、「懲りて慎む」。原発についても、懲りて慎まんといけません。

丁度、大震災に合わせるかのように、真覚寺日記改訂版が出版されました。このにっこりでも何度かご紹介した、宇佐、真覚寺の住職、静照さんが、安政大地震が発生した日から、毎日毎日、15年間書き綴った日記。最初は、その地震と津波の記録を残し、後世に伝えるがが目的で始まったものです。

その日記には、各所の被害の詳細、教訓がぎっちりと書き込まれ、現代でも大変参考になる貴重な文書となっちょります。また、ちょっとづつご紹介していきますね。

その日記には、余震についても正確に継続的に書かれちょります。それによりますと、地震から2年が経過しても、まだ、身体に感じる余震は毎日のように続きよったことがわかります。東北の皆さんも、長期戦になることは確実です。我々の支援も、長期的視野でやっていかんといけません。

嘉永7年11月5日に、南海地震と津波が発生しました。その一ヶ月後、どんな状況なのか、12月4日、5日、6日の日記を土佐弁に読み下してみます。

12 月4日 薄曇り 今日から明日にかけて、また津波がくるにかあらん、と、騒ぐモンがどっしこ居った。けんど、そんなことはなんちゃあなかった。こじゃんと冷やい。昼の間は地震もなかったけんど、夜になって3回揺れた。そのうち1回はなかなか大きかった。今日、仁野の源次さんが見舞いに来た。

12月 5日 晴れ 朝8時ばあからお昼までの間に3回揺れた。2~3日前、海水に浸かった米倉のコメの入札があった。震災の救援米を貰うたモンには、入札の権利が無いがやと。夜になって、小さい揺れが3度。橋田と新在家の間は、堤防が決壊して海水が入って入り江になり、未だに水が引いちゃあせん。そこに船が入れられて小さい湊みたいになっちゅう。

12月6日 晴れ 夜明け頃と、お昼前に揺れた。風がちょっと強うなり、曇ってきた。夕方、小さい揺れが2 回、夜中に2回。宇佐から奥浦の間で、溺死体が3人、5人とあがってきた。こじゃんと日が経っちゅうので、男女の区別もつかず、腰より下が無い遺体もあった。着いちゅうもんで判別して、葬ったがよ。今回の流死の状況を聞きよったら、財産とか衣類とかを惜しんで逃げるがが遅れたモンは、その場でしゅっと波に巻かれちゅう。たまたま逃げれても、裏手の北の方に津波が入りこんできちょって逃げれんなり、木の上に登ったりしても力尽き、木から落ちて亡く立ってしもうたモンも居る。また、家と一緒に沖に流されていったモンも居り、本当に哀れ千萬ぢゃった。

また、昔からの言い伝えに、大地震の際には井戸の水を見てみい、もし、井戸に水があったら津波は来るんし、水が無いなったら油断せんづくとにしゅっと山へ逃げえ、というががあった。その言葉を信じて、井戸を覗きに行って津波に流されたモンが居ったと。これは迷信やき信じたらいかん。今回の地震でも、大地震直後に水が無いなってしもうた井戸もあれば、普段と全然かわらん水量の井戸もあった。井戸の水で津波を占うがはこじゃんと危ない。後世、よく心得べし。

山へ逃げ上るにしても、崩れる山、崩れん山がある。大木のある山とか、1本も樹木の無い山へは近寄ったらいかん。中くらいの大きさの木々が生えた山に登らんといかんがぢゃ。

また、地震の際に一目散に竹藪へ走り入り、竹の切り株で足を怪我したモンも居った。大声で泣き叫んだり、夜になって目が見えず、躓いて怪我したモンも居る。自分の家財道具を家から出して、その置き場所を忘れちょってヒトに横取りせられたモンも居った。

いずれにしても、パニックにならんづくとに落ち着くがが一番大事ぢゃ。


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