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宝永津波溺死之塚、由来、忘れてはならないこと〔3552〕2013/01/05

宝永津波溺死之塚、由来、忘れてはならないこと

2013年1月5日(土)曇り

今日は、高知市から西の方面へ、新年の挨拶まわりに行っちょりました。営業の担当者たちと一緒に。
ここは須崎市の糺町。ここに、「宝永津波溺死之塚」という、碑が立ちます。あの東日本大震災の後、2011年3月27日にご紹介した碑。

この碑には、地震の状況についての重要な文章が刻まれちょりますが、もう、ほとんど読み取ることはできません。が、これを読み取った方がいらっしゃいまして、それを、前回は現代土佐弁に読み下しました。今日は、同行した営業社員に、こんな碑があることを伝え、一緒に見てきたのであります。

今一度、今度は標準語に読み下してみます。

宝永津波溺死之塚
宝永4年(1707年)10月4日に発生した宝永の南海大地震で、大津波が発生。須崎で、400名を超える人々が溺死し、遺体が池に浮かんで、筏を組んだような状況になった。池の南側に長い穴を2列掘り、その遺体を埋葬したが、その150年忌の弔いにと、ここに改葬し、同時にこの碑を建てることにした。

その、改葬の準備をしていた安政元年(1854年)11月5日、大地震と大津波がやってきた。丁度、昔の伝聞とか記録とかを調査して、皆が読んでいたので、我先にと山林に逃げ登って避難したため、宝永の時のような人的被害はなかった。しかし、そんな中、船に乗って沖に出ようとして逆巻く波に飲み込まれ、船が転覆して30名以上が亡くなったのは、本当に悼ましい限りである。
これは、宝永地震の際、山に逃げようとしたら落石に打たれて亡くなってしまい、船に乗って沖に出た者は助かって帰ってきた、というデマを信じてしまったことが原因。元々沖に出ていて、そこで津波に遭遇したのならいざ知らず、津波が襲ってきている、丁度その時に船出するのは無茶というものである。絶対にやってはならない。

宝永の南海地震の際は、大地震が発生したらすぐに津波がくる、ということをわきまえておらず、津波がやってくるのを見てから逃げ始めたので、逃げ遅れて、大惨事となった。まことに悲しいことである。地震が発生したら必ず津波が襲ってくる、と考え、絶対に油断してはならない。しかし、地震発生と同時に津波がやってくるものでもない。少し、時間の余裕はあるので、揺れの状況を見極めて、落石とかの危険がない、高い場所を選んで逃げなければならない。

と、言っても、高い山のてっぺんまで逃げる必要もない。安政南海地震の大津波でも、古市町や神母の界隈では、屋敷の中までは、水は来なかった。宝永南海地震の大津波でも、伊勢ヶ松で、数人は助かったという。とてつもなく高い大津波がやってくる訳ではない。この150年で2度あった事例なので、参考にしてもらいたい。

後世、また、南海地震と大津波がやってきたときに、心得としてもらいたいと考え、皆で話し合って、石碑を建ててこの事を刻み込んでおこう、ということになり、私のところに話を持ち込んで来た。そこで、その概略を、このように書いてみた。

安政3年(1856年)10月4日
古屋尉助

以上です。この重要な内容の碑文は、今、読み取ることはできません。代わりに、弊社の社員さんが指差しゆう石板に、次のような文章が刻まれちょります。

宝永津波溺死之塚由来
この塚には、宝永4年(1707年)10月4日、須崎一帯を襲った大津波で亡くなった400余名の人びとが埋葬されています。
あまりにも大きな津波で、しかも、避難の方法を知らなかったため400余人もの人びとが溺死するという空前の大惨事となりました。おびただしい死体は筏を組んだように池ノ内池に流れ込み、まことに無残なありさまでした。

その後、147年を経た安政元年(1854年)の地震で、須崎はまた大津波に襲われました。この時は、人びとが宝永の大惨事以来、語り継がれた教訓をよく守ったので、犠牲者は少なくてすみました。しかし、間違った言い伝えを信じて、船に乗り沖に出ようとしたため、逆巻く波に覆され、30余名もの人が溺死しました。

二年後の安政3年、亀屋久蔵、鍛冶活助、橋本屋吉右エ門が世話人となり、浄財を募って、この地に墓を改葬しました。そして、後世に二度とこのような大惨事が起らないことを願い、津波の恐ろしさと、地震後の津波に対する心得を刻んだ塚を立て、発生寺住職智隆和尚が願主となり、慰霊法要を営みました。

この塚は、当時、最も人通りの多かった往還に面し、しかも、近郷きっての名刹大善寺の登り口に建立されています。このことから、願主をはじめ、塚の建立に努力された人びとの、犠牲者にたいする鎮魂の思いと、後世の人びとへの悲願をうかがい知ることができます。

私たちは、歴史の事実を知れば、それを現在の生活に生かしてゆく姿勢こそ大切であると思います。
天災は忘れたころにやってくる   寺田寅彦

以上、転載でした。この碑文の最後に刻まれた内容を、今一度噛み締める必要があります。


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