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電車通りは中堤の切れ目〔3606〕2013/02/28

電車通りは中堤の切れ目

2013年2月28日(木)晴れ!

明日から3月。暖こうなってきましたねえ。日中は汗ばむくらい。朝の気温も、メッソ低うございません。

ここは今朝の桟橋通。その信号のところは電車通り。交差点の向こうのカラフルな壁面は、南海化学さんの壁、と言いましたら、大体の場所がわかりますでしょうか。しかし、こうやって見ると線路が見えません。それもそのはず。こちらから向こうへと繋がる道路は、昨年11月6日にもご紹介した「中堤」の痕跡。藩政期初期、潮江地区を、潮の入ってこない農地にするために構築された堤防、「中堤」。

明治後期、この中堤をつっきる形で電車を桟橋まで通し、桟橋通となりました。ですきに、電車通りは、一段低うなっちょりまして。こっから見ると線路が隠れて見える訳です。

さて。
昭和21年12月21日未明、南海地震が発生。ほどなく、津波が高知へも押し寄せてきました。潮江地区は長期間浸水し、農地も潮にやられて甚大な被害を受けた訳ですが、潮江地区で農業を営む方の、それはそれは克明な日記がありまして、現在、それをデジタル化されようとしゆう方がいらっしゃいます。
その農家の方は、弊社がこじゃんとお世話になった酪農家さんのお父上。このひっこりでビッシリご紹介する、安政南海地震の真覚寺日記の昭和板とも言える日記には、様々な貴重な記録が残されちょります。そこに、この中堤のことが出てきますので、少しだけ引用します。

地震では、家屋などにも甚大な被害がでましたが、ここでは、潮江の農地に関することだけに絞ります。
地震後、夜が明けて、地元の土木委員から、孕の水門を閉じるようにとの指示がありました。しかし、現場へ行ってみると、水門周辺は地割れで、もう、防ぐ術もない。海水がどんどんと流入。
そこで、「長い間無用の長物」とされちょった「中堤」で食い止めよう、ということになって、畳やら材木やらを持ってきて、非常に危険な作業をしたが、激しい海水流入は止まらず、お昼頃には諦めた、とあります。各人、自分の農地に戻り、収穫できるものは慌てて収穫したそうで、そこへ、海水がどんどんと流入。「海となるのはもはや時間の問題である。」と、悲しさを書き綴っております。

翌朝にはもっと増水、田んぼは一面の海。安政地震の後は、農地の復旧に3年以上かかったということで、これからの不安を隠せません。

津波の後、潮の満ち引きが完全に狂うてしまい、一日に何度も満ちたり引いたり。海水が、激しい勢いで入ったり出たりするので、電車線路は洗い流された。非常に危険なので、長浜方面からやって来るヒトは、宇津野峠を越えて、高見山の麓沿いに行くしかなかったようです。

この写真をご覧下さい。
中堤があっても、結局、この電車通りなどから海水が流入して、潮江全域が海没することになったのではないか、と想像できる風景。

来るべき南海地震。津波と浸水は、間違いなく、ここにやって来るでしょうね。中堤は、今、痕跡のみが残って、その機能を知るヒトも少なくなりました。


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