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田野、奈半利、羽根出身の経済人〔3970〕2014/02/27

田野、奈半利、羽根出身の経済人

2014年2月27日(木)雨

よく降ります。昨夜からしっかりした雨脚。降り続きます。そんな中、朝から田野に来ちょります。ここは田野八幡宮さんの拝殿の中。
この田野八幡宮さんの本殿は、1857年の建立。幕末の安政4年で、安政南海地震の3年後。安政地震の揺れや津波被害からの復興を願い、建立されたのでしょうか。谷陵記では、田野は「無事」でした。

その八幡様の拝殿に、この、大きな船の模型が吊り下げられちょります。高知県立歴史民俗資料館がリニューアルオープンした際には、そこに貸し出され展示されちょりましたが、今はここに帰ってきちょります。船には、「明和元歳 施主 福吉屋茂左右衛門 船頭 市五郎」と書かれ、1764年に制作されて寄進されたことがわかります。

田野は、藩政期、関西方面に向けての木材の積み出しや、高知の城下と大阪を結ぶ航路の中継港として栄え、多くの商人が活躍しました。この模型船も、そういった商売で成功した方が、八幡様にご寄進したがやと思われます。

手元に、2013年12月号、つまり、最新号の「土佐史談」があります。今回は昭和史特集号。色んな、土佐の昭和史に関する論文が掲載されちょりますが、その中に、鍋島高明さんという史家の方が纏められた「昭和初期の高知の経済人・実業家 独立自尊の奮闘録ー野村・西山・清岡・山地」という玉稿がありました。
明治大正昭和と、土佐は、日本を代表するような経済人を輩出しました。三菱の岩崎は言わずもがな、このにっこりでも何度かご紹介したコマツ創業者の竹内明太郎さん、満鉄総裁の仙石貢さん、多くの大銀行の頭取などなど。もちろん金子直吉さんも土佐人。そういった中で、この論文では、土佐を愛し続けた4人の経済人にスポットを当てちょります。

土佐の交通王、破天荒な人生を駆け抜けた陽性の事業家、野村茂久馬さん。野村組が自動車部を立ち上げた際、自動車王ヘンリーフォードから、日本の総代理店をやって欲しいとの直接の依頼を受けるも、「わしは土佐の野村でえい」と断った話は有名。
一代で土佐を代表する企業集団を築き上げた事業家と言えば西山亀七さん。現在の西山グループ創始者で、細心周密な計画と、機を見るに敏な商才で、大成功を治めました。クリスチャンで律儀な商人として、傑出しておりました。
山地土佐太郎さんは、入交商店に入社してから頭角を現し、独立して海運ブローカーとして活躍、スマトラ護謨拓殖社長としてゴム事業を拡大するなど、金子直吉と似た拡大を続けるも、金融恐慌をくぐり抜けて事業を継続することに成功、極洋捕鯨を創業し、日本水産、大洋漁業に次ぐ3番手の捕鯨会社として発展させました。
清岡栄之助さんは、鉄の世界でのし上がり、吾嬬精鋼所を設立、吾嬬製鋼所となって、同業をどんどん買収、高知で一番の多額納税者、川崎さんの3倍納税していたという人物。土佐電気製鋼所の社長もつとめたりしちょります。

さて、この、特集で取り上げられた4人。
野村茂久馬さんは、奈半利に生まれ、高知尋常中学校で学んじょります。
西山亀七さんは田野の生まれ。父母について高知に出て、飲食店と雑貨店を始めました。
山地土佐太郎さんは東京で生まれてすぐに故郷の羽根に帰郷、高知に出て土佐郡第一高等小学校卒業。
清岡栄之助さんは田野の生まれ。上京して、鉄の世界に転がり込みました。

田野出身が2名、隣の奈半利町が1名、その向こうの羽根出身が1名。これは偶然なのでしょうか。
高知県東部は、藩政期、材木の積み出しや、高知城下と大阪の通商で栄えました。商売人の素地を養うに、十分な土地であったのでありましょうか。

その田野から、西山、清岡両名のちょっと後輩になる吉澤八洲夫氏が高知へ出て行って高知商業学校に学び、銀行勤めをした後、独立して乳牛と山羊を飼い始めたのは、大正11年のこと。ひまわり乳業のルーツは、ここ、田野にあるのであります。


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