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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

新宮村と大谷村〔4086〕2014/06/23

新宮村と大谷村

2014年6月23日(月)晴れ!

高知の朝。昨日、大分からソニック、のぞみ、南風と乗り継いで帰って来まして、婚礼に出席できました。これで、先週の怒濤の様な出張移動がひとまず終了。
高知〜(JR)〜大阪〜(近鉄)〜名古屋〜(JR)〜大阪〜(バス)〜徳島〜(飛行機)〜東京〜(飛行機)〜高知〜(車)〜大分〜(JR)〜高知。
移動しました。ずいぶんと。お蔭さまで、こじゃんと有意義な一週間でございました。昨夜、婚礼から二次会にも行かず、家に帰ってお風呂に入って爆睡。今朝はスッキリと4時前に起きて、会社にやって来ちょります。さわやかな月曜日の朝。梅雨の晴れ間の青空が広がります。

こないだ、野市、大谷神社の川田維鶴さんの落款が押された絵馬と、新宮、熊野神社の新宮維駿の署名がある絵馬についてご紹介しました。河田小龍さん、何故、珍しくも本名の川田維鶴で絵馬を寄進したのか、その理由についての考察。妄想。
弟子入りしてきた野市、新宮村の農家の倅、新宮馬之助くん(16)に、自分の名前から一字与えて新宮維駿と名付け、その維駿くんが実家のある新宮村の熊野神社に絵馬を描いて奉納するのを指導。そして、その際、お手本に描いたのかどうなのか、自分の描いた絵馬を、新宮村の隣村、大谷村の大谷神社さんにご寄進し、落款も、馬之助くんに与えた、「維」がつく本名の川田維鶴を、あえて使うことにした、という妄想。

今朝は、その、旧新宮村の熊野神社さんをお参りしてきました。薄暗い社殿の中を覗き込むと、キチンと、新宮維駿さんの絵馬が掲げられちゃあります。
おさらいですが、新宮馬之助さん。維新の志士。元海援隊士。
絵の師匠の河田小龍によって勝海舟の神戸海軍塾に送り込まれ、航海術を勉強。そして龍馬の亀山社中に入り、海援隊士に。龍馬の信任も厚く、色白の顔が上気して赤くなることから「赤づら馬之助」と親しみを込めて呼ばれた好漢。
維新後、北海道開拓に従事するも挫折、海軍軍人となって大尉まで昇進、とのこと。

この馬之助くん、日本の歴史にとってかなり重要な局面にも関係しちょります。以前にも書きましたが、慶応2年1月22日の京、薩摩藩邸。龍馬の仲介で、薩長秘密軍事同盟が結ばれた日。その前々日、伏見の寺田屋に、同行してきた長府藩士三吉慎蔵を残し、池内蔵太と新宮馬之助を同行して薩摩藩邸に入った龍馬。

同盟が結ばれたのは22日で、馬之助くん、その場に居たのかどうなのかは判然としませんが、薩摩藩邸には居たでしょう。歴史の大舞台、薩長同盟の結ばれる薩摩藩邸に、新宮馬之助くんは居りました。その人物は、元々、この神社の近くの、絵を描くのが上手な、百姓の倅でありました。

ここ新宮村と大谷村。写真右手の熊野神社から大谷神社までは、車で行くと約2km。しかし、写真左手遠方に見える小山の右側の尾根の鞍部を越えて行けば、約1km。当時は、その最短距離の鞍部越えで行き来しよったでしょう。隣村。そこに、師匠と弟子の絵馬が同時期に奉納され、同じ「維」の文字が使われちゅう、というのは、いかにもですな。


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