彦根城はデカかった〔8121〕2025/07/10

2025年7月10日(木)晴れ!
そんな訳で、今朝は彦根。滋賀県の彦根。彦根に泊まるのは11年振りやね。前回は南彦根に泊まり、石田三成が本拠とした佐和山城址を走りました。なので、今朝はやっぱし彦根城。
石田三成が本拠としただけあって、ここは交通の要衝。琵琶湖の水運と街道の結節点であり、商業が栄えた町。
徳川四天王の一人、井伊直政に与えられたのが石田三成の居城佐和山城と領国。それだけでも重要な場所であったことはわかるよね。井伊家は幕末の直弼に至るまで、徳川幕府で重要なポジションを守り続けた家。井伊直政は、佐和山城から彦根山に居城を移そうと構想するも病死。跡を継いだ直継が父の遺志をうけて1603年に築城に着手。家康の多大なるバックアップを受け、20年の歳月をかけて完成したという彦根城。
いや、初めて行ったけど、デカい。思ってたよりもかなり、デカい。石垣が素晴らしいねー。
見た感じ凝灰岩が主体に見えます。帰ってきて調べてみたら、凝灰岩の一種である「湖東流紋岩」というのらしい。なるほど。この界隈で産出する「湖東流紋岩」か。硬いけど加工しやすい、という石なんでしょうね。
その「湖東流紋岩」を「牛蒡積み」しているのが特徴と書いてます。牛蒡積みは、野面積みの一種で、胴の長い石を、狭い面を前に出し、長い面で積んでいく方法なので、構造が頑丈。そんな「湖東流紋岩」の「牛蒡積み」が中心となって構築された広大で壮大な石垣。もちろん、花崗岩も混じってました。
ゆっくりとまわったら、いろんな石のいろんな積み方が楽しめたと思うけど、今朝はそんなに時間がありません。まだ、大手門から内側には入れん早朝だし。
それにしても、お堀も見事。琵琶湖につながるお堀が「外堀」「中堀」「内堀」と残ってます。往時の広さそのままに。なので遊覧船も走れる訳だ。
こうやって見てみると。高知城と高知城下のお堀を埋めまくってしまったのは、いかにも悔やまれます。羨ましい彦根の風景。
そんな中堀沿いを走っていたら「滋賀大学」とかかれた立派な門が。そう。滋賀大学経済学部は、彦根にあるのでした。さすが近江商人の本場。全国9番目の官立高等商業学校、「彦根高等商業学校」として1922年(大正11年)設立。おう。ひまわり乳業の創業と同年だ。
太平洋戦争中に「彦根経済専門学校」と改称されているけど、おそらくその時期に、高知県から入学してきたのが品原淳次郎さん。そう。朝ドラ「あんぱん」で、暢や嵩と一緒に「月刊くじら」をつくっている岩清水君のモデル。史実では「月刊高知」をつくっている品原淳次郎さんは、ここ彦根の彦根経済専門学校で学んだのでした。正門入ったすぐのところに何やら歴史的建造物が見えます。彦根高等商業学校講堂だそう。1937年にヘレンケラーが記念講演をしたという建物なので、若い日の品原君も使っていたであろう講堂だ。
いいね、彦根。歴史がそのまま溢れている感じ。
さあ、仕事を始めよう!