国鉄バス物部川転落事故〔8241〕2025/11/07
2025年11月7日(金)晴れ!
75年前、昭和25年の今日、物部川沿いの国道で、悲しい大事故が発生しました。「国鉄バス大栃線物部川転落事故」。午後6時20分土佐山田駅発、在所村行きの、通勤通学客を満載した国鉄バスが、国道から63m下の物部川に転落、34名の犠牲者と29名の負傷者を出してしまったのでした。国鉄バスの事故としても空前で、全国にも衝撃を与えたとのこと。
以前、昭和32年に起きた伊豆田峠でのバス転落事故のことを書いたことあります。5名の犠牲者を出しました。その道は、バスにとっては過酷な狭い狭い山道でした。一方、国鉄バスが転落した物部川沿いの国道は、当時でも6m幅がある道路。原因には、複数の問題が絡んでいる、とのこと。運転手の飲酒とか、道路事情とか。
こんなページがありました。この事故の模様、考察を、詳しく書いてくれています。
このページによりますれば、事故当時、まだ杉田ダムは建設されていないので現在のようなダム湖はありません。道路は今よりもずっと下に通っていたけど、道路から川までは63m。事故直後の悲惨な状態や目撃情報も書いてくれてます。国鉄バスの運転手さんでも飲酒が常態化してた、というのが怖いねー。今では考えられんけど。
このページから、下記の情報を転載します。
写真の左端が「句碑」。昭和27年、三回忌法要の際に、香北俳句同人たちによって建立されました。事故を追悼する悲しい句が、たくさん刻まれています。当時の副総理、林譲治による「思い出はまた涙なり野辺の菊」という句も。
中央が昭和35年、事故から10年目に、宝珠寺住職によって建立された弔魂碑。遺族や住民の寄付により、建てられたどう。住職の一人娘も事故に遭い、全身打撲の重症を負ったとのこと。右端は、その際に建立された交通守護地蔵尊。
石材はなんと、花崗岩の中でも最高級である庵治石。彫刻を請け負った業者さんは、なんと、この事故のバスに乗ろうとしたが満員で次便に遅らせ、事故を免れた方なんだそう。その方のご好意で、庵治石の最良品が使われています。すごいお話。
今朝、写真を撮りに行ってて気付きました。ここは、朝ドラ「あんぱん」で、子供時代の場面でよく出てきたロケ地、あの、大きな岩のある場所の対岸。あの場所で、75年前の今日、こんな悲劇がありました。今日も恐らく、ここで、宝珠寺さんによって法要が執り行われます。
