山田、土佐山田、引込線〔8290〕2025/12/26
2025年12月26日(金)晴れ
やっと、この季節らしい気温の朝。最低気温が昨日の朝より10℃以上低い訳で、体調管理が大変。年末年始を息災に過ごしたいですきんねー。
さて。今年のカレンダーだと、今日で仕事納め、という方も多いんではないでしょうか。弊社はもちろん大晦日まで操業ですが。
そして今日は忘年会。JA高知県香美地区酪農部の忘年会。これが今年最後の忘年会かと言えばそうではなくて、29日にも、弊社に生乳を納入してくださっている酪農家さん組合の忘年会があるので、今日のがラス前。お昼から、土佐山田で。
香美市土佐山田町。平成18年(2006年)、平成の大合併で土佐山田町、香北町、物部村が一緒になり、香美市。その際に香南市もできた為、古きからの由緒ある「香美郡」がなくなってしまったのは、ちと、残念。
土佐山田町の成立は昭和29年(1954年)。山田町、片地村、大楠植村、佐岡村、明治村、新改村が合併してできた町。
「土佐山田」という名称は、恐らくは、国鉄土佐山田駅が由来となっておるのでしょう。丁度100年前1925年にできたのが土佐山田駅で、複数の同名駅がある場合は頭に旧国名を冠するというローカルルールから「山田駅」ではなくて「土佐山田駅」になりました。そして「土佐山田」という名称が浸透していき、昭和29年の合併に際して、人口に膾炙している「土佐山田」が町名になったのでしょうか。
香美市になっても、町名として土佐山田は残り、今でも「土佐山田」は「土佐山田」なのでした。
土佐山田駅からは、かつて、セイレイ工業高知工場への引込線が延びていた話は、以前にも書きました。現在のヤンマーアグリ高知工場。その沿革見るとかなり複雑な経緯と社名の推移がわかります。いや、これは複雑だ。
高知工場の関係で言えば、そもそものはじまりは昭和6年(1931年)の「土佐農機」なんだそう。籾すり機、脱穀機、米選機の製造工場。その後「協和農機」に改組し、昭和36年(1961年)にヤンマーと業務提携。
現在の場所に協和農機山田工場ができたのが昭和46年(1971年)。その際に、この引込線が建設されたと思われます。1977年にセイレイ工業となり、色々あって、現在はヤンマーアグリ高知工場。
土佐山田駅からの引込線が廃止されたのはいつだったんだろう。土讃線を貨物列車が走らなくなったのが1986年。その時の可能性が高いですね。
引込線と言えば、土佐石灰工業の専用線とか、大阪セメントの専用線があって、あれは、1992年頃まで存在してました。が、この引込線は1986年まででしょうねー、たぶん。
今も、当時の引込線の痕跡がカーブの空き地となって残っています。写真は、線路の南側からそのカーブの入り口を撮影したもの。向こうの白い大きな屋根がヤンマーアグリ高知工場。
ヤンマーアグリ高知工場の紆余曲折の歴史を見たら、将来、貨物列車が物流の幹線を担う世の中が訪れたら再び引込線がここに復活する可能性もゼロではないな、などと妄想してる場合ではなくて、そろそろ忘年会へ向かいます。今年ラス前の忘年会。酪農家さんたちと意義ある時間を過ごしてきます。
