そして、ヨ8000形車掌車〔8240〕2025/11/06
2025年11月6日(木)曇り
しかしまあ、鉄ネタが続くねー。今朝もまた、鉄ネタ。
昨日「ワムハチ」のこと書いたので、高知のどこかに貨車ワムハチが置いてなかったっけ、と記憶を辿ってみました。葛島の山の麓のお家の前にあったような気がして行ってみたら、違いました。そこに置いてあったのは車掌車「ヨ8000形」。ストリートビューで過去も見てみたけど、塗装が変わっただけで、どうやら以前からヨ8000形。ヒトの記憶ってアテにならんね。まあ、今までは興味なかったし。
さて。昔、貨物列車の最後尾に「車掌車」という車両が連結されてました。その代表がヨ8000形。こんなの。ウィキによりますれば、製作されたのは1974年から1979年で1170両がつくられたんだそう。そんなに短い期間だったのね。それまでの車掌車やブレーキをかける緩急車の置き換え用として登場した、トイレもついててスピードも出せる画期的な車掌車だったとのこと。それまでの箱型に比べてコストダウンも達成。
しかし、1986年には車掌車というものが原則廃止されてしまい、その翌年には民営化。JR各社に譲渡されたけど、使い道は限られるものになった訳だ。ただ、今でも見ることは、できます。係員添乗用とかで。こないだの「隅田川駅貨物フェスティバル」でも体験乗車できるようになってたし。
ウィキによると、国鉄からJR四国に譲渡されたのは4両。現在はもちろん所有してないので、ここに置いてグレーに塗られてるやつが、そのうちの一両だったのかも知れません。
ウィキには、すごいイベントについて書かれてます。その名も「バンガロー列車」。1985年夏、高松ー大歩危間を走ったイベント列車で、大歩危駅で窓に防虫網を取り付けたヨ8000をバンガローに仕立てるというもの。すごいね。牽引したのはDE10で、オハフ50も連結し、その後ろにE8000が18両。まだ瀬戸大橋も開通してないので、足りないヨ8000は本州から運んできたんでしょうかね。
恐らくは評判が良かったのでしょう、翌年には「大洲内子バンガロー列車」が運行され、この際に連結されたヨ8000は16両。これは壮観だ。
まだ国鉄だった時代。その翌年にはJR四国になるので、国鉄時代最後の思いがこもったイベントだったのかも知れません。こういう遊び心満載のイベントって、民営化で財政が苦しくなると無くなりましたもんね。
このヨ8000には二軸の台車がついてます。が、よく見ると、その向こうに台車が取り外されたヨ8000らしきオブジェが見えるではないか。この持ち主さん、ひょっとしたら、JR四国所有だった4台のうち2台を譲り受けたのか。
現在、愛媛県の鉄道模型屋さんが一台所有しているようやけど、ここに2台あるのって、すごいよね。今まで気付かなかったのは迂闊でした。
