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飛騨高山、天領になる前〔4440〕2015/06/12

飛騨高山、天領になる前

2015年6月12日(金)雨の飛騨高山

そんな訳で、今朝は飛騨高山。今年の2月24日以来ですな。
あの時は、高山市内は雪に埋もれておりました。観光客の多い市街地の南東、城山をたつくろうとしてみたものの、積雪による倒木の危険とやらで、中腹より上は立ち入り禁止になっちょった、城山。

そんな訳で、前回たつくれんかった城山をたつくってきました。飛騨高山は雨。しっかりとした雨足で、昨夜から降り続いておりますが、それはそれ。心地よく、早朝の城山、そして陣屋前から宮川界隈を走ってきたのであります。まあ、7kmばあながですけんど。

飛騨高山と言いますと、天領というイメージが強いので、お城がある、という感じがしませんよね。天領の代官所があって、そこが陣屋として今も観光名所になっちょりますきんね。飛騨高山と言えば、天領。徳川幕府が、金山やら材木やらの重要な資源があるところを、天領として押さえた、というのはイメージとして定着しちょります。

ただ、ここ、飛騨高山が天領になったのは元禄8年のこと。1695年。もう、開幕して一世紀が経とうとしよった時期。
それまでは、普通に、大名が支配する国であった訳だ。遠くに住む我々にはあまり馴染みのない、大名の支配する飛騨高山。

高山城址。その城山の中腹までは、車道があります。雨の車道を駆け上がっていくと、広い公園みたいなエリア。そこに、立派な騎馬像。観光名所、飛騨高山でも、この騎馬像目当てでやってくる観光客さんは少なそうですが。
この人物が、金森長近さん。信長や秀吉配下で活躍した戦国武将なんですな。

この騎馬像の裏面に「金森長近公略伝」が刻まれちょります。元々は名門土岐一族なんですね。長近の「長」は、信長の「長」を賜ったもの。で、幼少より信長に仕えた、とあります。嫡子金森長森長則くんは本能寺の変で信長方で戦って殉死しちょります。もう、生粋の信長配下なんですね。その後、秀吉に仕えて戦功を重ね、天正十四年に飛騨三万八千石を賜って領主となった、とあります。そして、この臥牛山に築城を計画、山裾の、宮川沿いに城下町を建設することにしました。
交通の要衝、飛騨高山。

関ヶ原でもうまく立ち回って加増され、立派な大名になりました。
金森家は、元禄5年(1692年)に突然出羽上山藩へ移封。宝暦八年(1758年)に、藩主頼錦が幕府に藩政を咎められて改易。この頃、徳川幕府は、なにかと理由をつけては改易、転封を行い、種々の利権を幕府に引っ張り込みよりましたので、その一環でしょうな。もちろん利権は飛騨の山。
ちなみに金森家、その後赦免され、旗本のような身分になって存続した、とされます。これを見ても、この改易には、幕府の強引な意図が感じられまするですな。

この雨の城山。あちこちに「クマに注意」の看板。昨年、割合に近くでクマが出没し、人が襲われた事件があったので、注意喚起の看板。ちょっと、怖い。本丸の所には、「熊出没注意」という紙が貼られた一斗缶。それと木の棒。これを叩いて、熊が近寄ってこないようにしてください、という代物。なかなかの臨場感ですな〜。一人で走る雨の山中。熊には逢いたくないものだ。

無事、てっぺんの本丸まで駆け上がり、山道を下って、宮川沿いの風情のある街並をラン。桜山八幡宮さんにお参りしちょいて、東山に並ぶたくさんのお寺の境内をぬけていく東山遊歩道を軽く走って、宿へ。ここにお寺がたくさん並ぶのは、この、金森長近さんのおかげであるそうです。
雨中の飛騨高山。良い街です。


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