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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

流路の変遷、固定化の将来〔4443〕2015/06/15

流路の変遷、固定化の将来

2015年6月15日(月)雨上がり

雨上がりの朝。今朝、家を出たのは4時頃でしたが、もう、明るみ始めておりました。もうすぐ夏至。一年で一番夜明けが早い季節。昨夜まで降りよった雨もすっかり上がり、夜明け前の街、田畑や山には靄が立ちこめておりました。
お日様が昇り始めると、濡れた風景が輝き始めてそれはそれは美しい。美しい日本の風景。

写真は、今朝、5時の南国市物部。田んぼの中を東西に走る道路の、水路に架かった橋の上から撮影してみました。国道55号線、南国バイパスの北側。この道は、走って帰る際によく通る道。
走っておりまして、一番アップダウンがあるのが、この地点。地理院地図で見てみますれば、この橋の上界隈の標高が9.5m。ここから20mばかし東へ行っても、同じ距離西へ行っても、標高は約13m。そう。ここだけ、窪んじゅう。この写真を見ても、田んぼが段々になっちゅうががわかりますよね。
明らかに、ここは旧物部川の河道のひとつ。ここを本流が流れておった時期もあったのでしょうか。

物部川は暴れ川。
太古の昔から、幾度も氾濫を繰り返し、河道を変えながら流れてきた川。なので、神母木のところを扇頂部にして、広い扇状地を形づくってきちょります。洪積世に形成された扇状地は、今、野市や山田の台地となって残り、固い地盤と高い標高が、来るべき南海地震への対応として人気を集めております。その洪積台地を物部川が開削してできた、新たな扇状地が、ここ。地理院地図の「土地条件図」というのを見れば、そのことがよく解ります。
高知市の平野などは、地学用語で言えば氾濫平野、谷底平野、そして三角州なので、ここよりはずっと海抜が低く、地盤も緩い、ということになるのだ。
飛行場の北側に広がる物部の平野は、結構標高も高く、地盤もそこそこ、ということなんでありますね。土地は、その成り立ちをよく見てから選びましょう。

さて。
この水路。ここの橋にも、川の名称は書かれちょりませんので、名も無い水路。ですが、もう少し下流、南国バイパスの南へ行けば「王子川」という名前になります。
川の東側に若一王子さんが鎮座ましますので、王子川。そこから更に下流へいくと、東からくる川と合流して秋田川。
秋田川は、飛行場の工事とかで、何度も流路を変更されてきた川。現在の秋田川は、空港滑走路の下をまっすぐに流れ、前浜で後川に合流。そこからは後川となって、前浜、久枝の浜堤の北側を東進し、物部側河口に流れ込んでおります。

河川は、大自然の営みの中で流路を変えながら流れてきました。この広大な扇状地の西から東まで、すべてのエリアを流れてきたとも言えるでしょうか。
物部川を現在の流れに固定するようにした最初の人物は、野中兼山さん。治水と灌漑。
その後は、大自然の営みに任せるのではなく、人間の思うように、河川や水路の流れを固定化してきた時代。それでも時折、大自然は牙を剥いてきた、そんな歴史。
大自然によってつくられてきた、現在の地質、地盤。それを、こんな風に固定化してきましたが、これから数万年、数十万年の間、人類は固定化を続けていくのでありましょうか。
いや、そんなことは有り得ないのでありますね。

地球は、また、氷河期に入ったり暖かい間氷期を迎えたり、必ずしますきんね。縄文時代に、地球が暖かかった時期には、海水面は、現在より5mくらい高かったと言います。と、言うことは、ここは縄文海進の時期でも陸地であった訳だ。しかし、12万年5000年前の間氷期には、海の底に沈んだと思われます。人類がどうしようもこうしようも、地球の地質学的動きは止められない。ここもいつかは海に沈み、また、土砂が堆積し、陸地になって物部川が開削し、という歴史を繰り返していく運命。それは、たぶん間違いない運命。

そんなことを、この、旧河道で固定化された水路を眺めながら考える朝。


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