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夢窓疎石という人物〔4611〕2015/11/30

夢窓疎石という人物

2015年11月30日(月)晴れ!

良いお天気。今朝は高知。昨日、車でモンて来ました。今朝の高知は結構冷えました。明日から12月ですきんね。もう、冬がそこまで来ちょります。

昨日、高知ゆかりの尊良親王のお墓に行き当たったので、今日は、その葬儀を行った夢窓疎石さんの話。
ここは今朝の五台山。高知市五台山の吸江寺。ぎゅうこうじ、と読みます。そもそも、夢窓疎石さんが、執権北条高時の母、覚海の招きを避けて土佐へ下り、五台山の麓の風光明媚な場所に庵を結んで「吸江庵」と名付けたのが始まり。

夢窓疎石。夢窓国師とも呼ばれますな。
1275年、伊勢の生まれ。東大寺で学んだ後、上京。建仁寺で円範に師事し、禅宗へ転じた、とあります。そう。禅宗の偉いお坊さん、夢窓疎石。
1299年に一山一寧に師事。建長寺やら円覚寺やらで修行し、1303年、高峰顕日に師事し、1305年に常陸の臼庭に結んだ庵で悟りを開いた、とされます。
その後、所を替えながら庵を結ぶ生活だが、その世界ではかなりの有名人になっておったと思われます。

上に書いたように、当時の最高権力者、執権北条高時の母、覚海の強い招請を断る為に、遠路はるばる土佐までやって来た、という訳だ。ここまで来れば、覚海さんも諦めるだろうと。
で、吸江庵を結んで1年3ヶ月。
1318年1月に土佐へ来て、1319年4月には、再び覚海さんの強い強い要請が届いて、土佐を離れて鎌倉の勝栄寺へ。

その後、移り住みながら1325年に、南禅寺へ。しかし翌年にはまた鎌倉へ。
また、各所でいくつかのお寺さんを開いたりしております。自分で権力の懐へ飛び込むような上昇志向の強い人物には見えないのに、後醍醐天皇、足利尊氏、光厳天皇などが、夢窓疎石に深く深く帰依しちゅう不思議。
たぶん、人を惹きつけるとんでもない魅力があったのではないか。

たくさんの天皇から師と仰がれたので、国師。夢窓国師と呼ばれるようになった人物。

来歴を眺めただけでは、なんとも、そのすごさが理解できない、不思議な人物、夢窓疎石。

写真は、吸江庵、現在の吸江寺の上の段から撮影したもの。もう12月というのにまだ紅葉していない紅葉の向こうに吸江寺の建物。その向こうに浦戸湾。
ここからの風景を愛した夢窓疎石は、「吸江十景」を選んだ、と言われます。以前にもご紹介しましたが、今はもう見られなくなった風景も多い「吸江十景」。

夢窓疎石が土佐から離れた後も、足利政権が確立していく中で、吸江庵の地位は向上していったと言います。夢窓疎石の高弟、絶海中津・義道周信という土佐出身の全国レベルの高僧が、その法燈をつなぎ、南海の名刹として五山文学でも有名になった、という吸江庵。

今は、静かに静かに、浦戸の海を見下ろすだけの吸江禅寺。
政権の中枢近いところに居ながら、政権から超越する態度をとり続けた夢窓国師は、日本史の上でも、かなり気になる人物の一人であります。


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