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三谷観音、西国三十三観音霊場、十二番石仏がここに〔4634〕2015/12/23

三谷観音、西国三十三観音霊場、十二番石仏がここに

2015年12月23日(水)曇りのち雨

今日は天皇誕生日。あいにく、お昼からは雨の天気ですが、気温は高い。もうクリスマスとは思えない暖かい師走が続きます。

今朝は、市内北部、ひまわり乳業創業の地である秦泉寺に行っちょりました。実家の裏山は秦山という山で、高知市の里山保全条例にも指定された山。標高は39mちょっと。竹藪が多い山。
里山と言うと、農村近くの場合は、草肥を採取するための山であったりしました。秦山もそうだったのか。
いや、違ったと思います。
改めて、この山に分け入ってみますと、筆山に負けんばあ古い立派なお墓がたくさん。そう。藩政期初期から、土佐藩に勤務する上級武士の墓所がつくられた山であった訳だ。
立派な墓石に刻まれた年号を見てみると、元禄、正保、そして寛永まである。こうなると、もう、17世紀前半で、江戸時代の初期。そんな頃に建てられた立派な墓石の残る山、秦山。
今も手入れされた墓所や、放置されたまんまの無縁墓、転がる墓石など、多数。筆山と同じだ。

まだ薄暗いうちから、墓石を確認しながら藪漕ぎしてきました。こんなにもたくさんのお墓がある山とは、山の南側で成長した小生も知らんかったです。迂闊と言えば迂闊。

北側へ藪を漕いで下り、その北の山を越えて北秦泉寺の街へと下った頃には、実家を出てから1時間近く経過しちょりました。奥の深い探検だ。

で、そこから三谷往還へ。
北山の中腹、高知の平野を見晴るかすように在る、古くからの集落が三谷。集落の一番上には、三谷観音さまが鎮座。
北秦泉寺から三谷へは、谷沿いに山道が拓け、昔からメインストリートとして毎日多くの人々が行き交いました。今は道路ができたので、あまり通る人も居ない山道ですが、小生は好きな道で、何度もたつくったことがあります。

その道には、北秦泉寺から三谷観音さままで、西国三十三観音霊場の石仏が並んでいます。山道に、順番に。以前、全部の石仏を写真に撮ってFacebookでご紹介したこともあります。
ところが。

昨年夏の大雨で、その山道は大変な被害に遭い、所々、崖が崩落して通れんなってしもうたのであります。どうしても通れん場所は2箇所。
どちらも、急斜面をなんとか下って谷へ下り、今一度、こじゃんと急な斜面を、所々に生えた樹々につかまりながらなんとか登る、ということで、なんとかクリアできました。

その通れん場所のうちの一つは、なんと、西国三十三観霊場の十二番石仏をもろともに崩落しちゅうのであります。今は土砂に埋もれた台座が残るばかり。
肝心の石仏は、土砂に埋まって流されてしまったのか。今まではそう思いよりました。

今日は、その通行不能箇所のだいぶ手前から川沿いに遡上、崩落した谷の一番下から、崩落谷を登ってみました。
途中、ふと、谷を見ると。
ああ。石仏だ。
石仏の背後からでしたが、しゅっとわかりました。こんな所に流されてきて、それでもこうやって立って、いるのか。
ちょっと、感動。

石仏の破損は激しく痛々しい。しかし、今もこうやって谷に立つ姿。
この崩落谷の下、金谷川沿いには、弘法大師の像も立っています。何か、とても神秘的な雰囲気だ。あの場所まで持って降りれんろうか、と、石仏を持ち上げてみようとしましたが、一人ではとても無理。かなりの重さでした。
はやく、崩落谷を修復して、元の位置に、修復された石仏が戻ることを祈るばかり。

そんな体験をしながら、なんとか三谷まで駆け上がり、観音様にお参り。それから椎の峠まで一気に駆け上がってきました。15km。
実家に着いたら雨が降り始めました。

少し神掛かった、朝の北山ランでした。


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