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とは言え気になったので〔5821〕2019/03/24

とは言え気になったので

2019年3月24日(日)良いお天気

このところ、日曜ごっとに雨が降ったりしてたし、こないだの春分の日も雨でしたが、今日は晴れてます。良いお天気。あちこち、人出、多そうな春の日曜。

今朝も6時過ぎから走ってきました。ちょっと、昨日書いた話が気になったもんで。

 

そう。松木白太夫さんの話。詳しくは昨日のにっこりとか読んで頂いたらいいけど、菅原道真公の陪臣として忠実に仕え、道真公薨去後、その遺品を、土佐権守だった嫡男、菅原高視さんのところへ届けたという松木白太夫さん。僕は、ずうっと、松本白太夫さんと紹介してきてごめんなさい、という話でした。

 

でもやはり、気になる。

実は昨日書いた「某説明板」というのは、潮江天満宮の白太夫社の前に掲げられてる説明板。そこには、祭神として「松本春彦」とハッキリくっきり。そして、僕の記憶では、大津、白太夫神社さんの説明書きにもそうあったような気がするので、今朝、確認に走った、という訳です。文字通り、確認に走りました。舟入川の土手上をビュンビュン走りました。ああ。心地よかった。

 

白太夫神社は、舟戸に鎮座まします。ここ。この山には霊松山雲門寺というお寺さんがあったと、言う。白太夫さんは、潮江に住む高視さんちへ行くべしでここまで辿り着き、ここで、急逝された、ということになってますね。少なくとも土佐では。

白太夫神社の脇には、山を上がって行く道。そこには「白太夫の奥津城(墓)」と書かれた案内板。急坂を上ると、古い五輪塔があり、キチンと地元の方がお供えしていました。そう。そこが白太夫さんの墓所とされてます。少なくとも土佐では。

 

その五輪塔の後ろに、花崗岩でできた標柱。そう。ここにもハッキリくっきり刻まれている。「白太夫 松本春彦墓」と。

側面には、昭和四年五月建之、とある。昭和4年に石に刻まれた「松本春彦」。さて。

 

白太夫神社へは、土電の線路脇の鳥居をくぐって上がっていきます。その鳥居脇に、明治39年に、偉大なる郷土史家、寺石正路さん撰による文面が刻まれた自然石の碑が建つ。風化して読みにくいけど、僕が見た限りでは、この碑には春彦とか白太夫とか書かれてるけど「松本」も「松木」も出てこない。と、思う。見抜かってたらごめんなさい。

 

その横の大きな説明板にはこれまた、「白太夫神社 菅原道真の老僕、松本春彦を祭る、潮江高見に流されてた道真の長子高視に遺品を渡すために大津の里まで来て、この地岩崎の雲門寺に投宿したが翌日にわかに病没した。」と書かれる。ああ。松本さん。

 

松木白太夫で検索したら出てくるこんなページをみると、松木白太夫さんは、かの豊受大神宮の禰宜。伊勢神宮外宮ですきんね。かなり、偉い、そして土佐へやって来て高視さんに遺品を渡した後、伊勢に帰り、豊受大神宮の禰宜として活躍した、という話。

 

伊勢に帰った松木さん。

ここで伝説が分離したのだろうか。

松木白太夫さんは、伊勢に帰る。

土佐では、大津、雲門寺で無念の最期を遂げた「松本」白太夫さんの伝説として、語り継がれる。伝説の枝分かれ。

 

単に、どっかで誰かが「木」を「本」に間違えただけで、それが潮江天満宮にも大津の墓所にも残っただけなのか。

謎が謎呼ぶ白太夫。

 

ここの、墓所とされるこの場所は、標高が30mくらいあります。竹藪に取り囲まれてるけど、それがなければ、大津の港の全景を見晴らす、とても良い場所であるのは、間違いない。

交通の要衝、港を見下ろす高台に「雲門寺」というお寺さんがあったのも、間違いないと思う。

そこで何が起こったり起こらなかったりしたのかは、これからも謎に包まれたままなんだろうと思う。

 

ただ。

オーテピアの蔵書をネットで検索してみたら、「白太夫考 天神縁起外伝」という本があった。今度行ったときに、見てみよう。


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