ゴッホの「ヒマワリ」と弊社の「ひまわり」〔6181〕2020/03/18
2020年3月18日(水)晴れ
良いお天気。遠くが霞んで、なんとなく、春。
暖かくなって、コロナが収束したらいいですね。なるかどうかは、まだわかってないみたいですが。
昨日、新型コロナウィルス は、人類の「思考」に感染する新手のウィルスなんではないか、という妄想の話を書いたけど、感染者数の推移を見てると、「感染」自体が、ひとつの生き物みたいにも見えてきます。
ウィルスの蔓延が、「群れ」としての一つの生き物。サンゴみたいに。ウィルス一つ一つは独立してるけども、集団として、一つの生き物のように行動する感じ。だから、大きく成長して活動し、いつしか収束していく。大きなうねりをもって。だから、いつかは収束する。早い方が良いけど。
そんな妄想を膨らませると、僕らが生きているこの人間の社会も、生き物のように見えてくる。
例えばバブル。
バブルが膨らみ、そして崩壊する様は、生き物のようにも見えるではないか。
なんでバブルを思い出したかと言うと、今朝の日経新聞の、この一面広告。大塚国際美術館の広告ね。あの美術館では、ゴッホが描いた7つの「ヒマワリ」を原寸大の陶板で再現して展示してるんだそう。で、ゴッホの「ヒマワリ」と言えばバブルを思い出すのである。
当時の安田火災海上が、53億円で、ゴッホの「ヒマワリ」を落札したのは1987年のこと。バブル真っ盛り。まだ、崩壊の兆しもなく世の中が浮かれてた。お金は余り、土地や美術品が天井知らずの高騰を続け、そんな世の中はずうっと続くと誰もが勘違いしてた、あの頃。その金余りの象徴みたいに言われたのが、その「ヒマワリ」だった。
バブル崩壊後、曲折はあったけど、あの「ヒマワリ」は売却されずに東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館に所蔵されてるとのことだから、まあ、散逸せんで幸いだった名画。
ヒマワリと言えばひまわり乳業で、なんで弊社は「ひまわり」乳業なのか、というそもそもの話は感動的でもあります。決してバブリーな話ではない。
昭和30年頃。当時の社名は高知牛乳食品株式会社。当時も今も、牛乳商売の肝は、余った乳に対してどのように対応するか。生乳は日持ちしないから。そこで、工場に煉乳の設備を設け、余乳を煉乳にして、お菓子メーカーとかに売り込んでたんですね。当時は。
でもなかなか買ってくれない。営業に走り回っていた創業者吉澤八洲夫は、あるとき大阪で商談に成功し、なんとか経営に一息つくことができたのでした。
嬉しかった八洲夫は、その辺のお店で、ひまわりのブローチを買い求め、奥さんへの記念のお土産としたのでした。
その後、特選濃縮で「おいしくて濃い」というキャッチフレーズの加工乳を開発し、発売するに際して、商品名をどうしようか考える。そうだ。あの縁起のいい「ひまわり」の名前にしよう。ということで付けた名前が「ひまわり牛乳」。
その牛乳が大ヒットし、県下全域に行き渡って知られるようになり、いつしか高知牛乳の代名詞がひまわり牛乳になって、ついには社名になってしまった、というお話。
そのひまわりのブローチ、今も残ってるけど、今見ると、縁日の夜店でも売ってないような、本当に安っぽいもの。
でも、これは、僕らにとってはゴッホの「ヒマワリ」の53億倍以上の値打ちがある「ひまわり」なのでした。
今回の新型コロナ騒動では、余った乳をなんとかしよう、と、多くのお客様が協力してくれてます。余った乳は、僕らにたくさんのドラマを見せてくれる。
本当にありがたいことです。本当にありがとうございます!