1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

鎌島城は、ブリコに。〔6868〕2022/02/03

鎌島城は、ブリコに。

2022年2月3日(木)薄曇り

節分かー。

つまり明日は立春ということで、もう、春。冬来りなば、春遠からじ。コロナの冬も、そろそろ終焉に向かって欲しいね。

 

こないだ、中世の城のこと、書きました。南北朝期から戦国にかけて、土佐でも各所で有力者、豪族が跋扈して、いろんな場所に砦、城を築いた、という話。もちろん戦国末期に至るまで、普通に「お城」でイメージするような石垣とか天守とかは存在せず、自然地形に土盛を活用してつくられた「砦」のようなもの。周囲が見張らせる、尾根の先っぽとか台地の先端、小山などが、そんな場所として選ばれていたようです。

小山でも、そのてっぺんには構築物は何もないか、あっても小さな見張り台みたいなもの。

豪族は、てっぺんから少し下がった場所で、生活しておりました。場所が狭ければ土盛して。

 

平野の真ん中の小山。これは、一見すると、攻め込まれたらひとたまりもない、みたいに見えます。が、よくよく立地を工夫すれば、かなり防御力の高い本拠地ともなり得た、という話を中心に、今朝は妄想してみよう。

 

ここは、南国バイパス。介良から、高須方向を撮影しました。正面にホームセンター「ブリコ」の灯り。曇り空の夜明け前、田んぼの中に浮かび上がっています。以前にも書いたけど、あそこには「鎌嶋」という小山がありました。つい、こないだまで。1960年代の写真にははっきり写ってます。1970年代でも、まだ、なんとなくわかる「鎌嶋」。「鎌嶋」という名前は、この今昔マップで確認できます。

その名称は、その小山が鎌のような形をしており、そしてかつては島であったことを示しているのでありましょう。そう。古代、ここは、広い広い古浦戸湾が広がる浅海でした。

徐々に土砂の堆積が進み、浅い海が干潟となり、湿地帯となってゆく。たぶん、中世は、そんな風景だったと思います。

 

中世、あのブリコのところに、鎌島城という城がありました。その名で呼ばれていたのかどうかは知らんけど、その小山を本拠のひとつにした豪族が居た、ということ。

平野の真ん中の小山。なぜ、そんな場所を本拠としたのか。

 

ここで、話は埼玉県の「忍城」に飛びます。「おしじょう」。戦国期、成田氏の居城として、幾度もも城攻めに耐えた難攻不落の城、忍城。衛星写真で見ても、難攻不落の城には見えません。しかし、そこは、利根川と荒川に挟まれた湿地帯。沼地に島が点在するような場所。で、敢えて埋め立てをせず、沼に浮かぶ島々に曲輪を築き、それを端で繋いだといいます。つまり、沼を、防御の中心に据えた訳だ。

中世の武将は、現代人よりも遥かに、地形に精通していたと思います。地形を最大限に利用する術を知っていた。沼地につくられた忍城は難攻不落となり、幾多の城攻めを耐え抜いたのでした。

 

で、鎌嶋。鎌島城。

想像するに(妄想するに)、こういう地形分類の土地で、平野の真ん中の小山に砦を築いた豪族は、ここがかつて海であり、湿地帯であることを最大限に活用することを考えたのではないか。

 

重要なのは、状況を精密に正確に分析し、その状況を最大限に活用する知恵。ITだAIだ、と世の中便利になり過ぎて、自分で見て考えて判断する知恵を忘れたらいかんねー。と自戒を込める、節分の朝。

明日からは、春だ。


←前日の日記2022年02月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  twitter