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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

久保神社と久保村と久保大八〔7625〕2024/03/01

久保神社と久保村と久保大八

2024年3月1日(金)晴れ

はや、3月。もう、3月。ああ・・・

3月やけど、この週末は少し冷え込む予報。お天気は良いみたいです。

 

しばらくよう登りに行ってないけど、三嶺へ登りに行く際、物部川上流の上韮生川流域に、「久保」とついた地名がたくさんあることに気付きます。上久保、久保和、久保影、久保沼井などなど。特に窪地になっているような地形でもないのに、なんで「久保」なのか。

それは、三嶺の連山を北に越えた阿波に「窪荘」があり、そこから移ってきた久保氏が領する土地だったから、とのこと。その後山田氏の支配下となり、長宗我部氏に滅ぼされた山田氏は、久保氏に身を寄せる。そしてその久保氏もやがて長宗我部支配下となり、藩政期となった後も、境目番所番人となったのでした。角川「高知県地名大辞典」に書いてます。

阿波の窪って、この辺でしょうかね。

 

さて。JR土佐山田駅からまっすぐ南へ行くと、更新世段丘の端っこに、お宮さんが鎮座まします。その南は段丘崖で、崖下を野中兼山の舟入川が流れる場所。

そのお宮さんの名前は「久保神社」。その神社には、こんな伝承が、あります。

藩政期の頃、物部の久保村に久保大八という「どくれ」の大男が居ったそうな。村の者も、その大八の言いなりになっておりました。あるとき大八が「サンショウ流し(サンショウの木の皮、葉を臼でついて、川に流すと、魚がしびれて浮いてくる川狩り)」をやると言い出して、村の者にサンショウの木を切らせて、村中総がかりで毎日臼に入れてつかせよったと。あと3日でサンショウを川に入れる、という日の晩、大八の夢枕にひとりの美女が立つ。「私はこの川の渕に住む蛇ですが、今、子をかやしよる最中ですきに、どうぞサンショウ流しだけは見合わせて下され。」と涙ながらに頼んだが、「どくれ」の大八は耳を貸さず、村の者にどんどんとサンショウをつかしたのでした。

その日から。遠くで「ソラ、イクゾー、ソラ、イクゾー」という声が聞こえ始め、サンショウ流しをする前の晩に、地中を混ぜ繰り返すような大音響と共に、大きな山崩れが起きて、朝になると、久保村はこっぽり地の底に埋まっちょった。という伝承。

近年亡くなられた市原麟一郎先生の「土佐の神仏たんね歩記」からの抜粋です。

生き残った久保村の人たちが祀ったとされるのが、この、土佐山田の久保神社。

 

この伝承は、どんな事実を伝えているのか。上韮生川上流界隈には、今も、山体ごと大雨で崩れてしまうような場所があります。藩政期、そんな惨事があったんでしょうか。山田氏と久保氏の関係から、山田に久保神社ができたんだろうか。などなどと想像が広がる、興味深い伝承。これが何かの史実を反映しているものだとすれば、この「久保神社」のルーツはここであり、その源流はここに辿り着いたりするかも知れないのでした。

それにしても。こういった伝承、言い伝えなどなどを、丹念に採集してまとめられた市川麟一郎先生は、やはり偉大だ。


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