山谷ブルース〔8090〕2025/06/09

2025年6月9日(月)薄曇り
高知は梅雨入りしたようですね。僕はまだ、東京。今日の午後、雨の高知へ帰ります。
さて。1968年に岡林信康によって歌われた山谷ブルース、ご存知でしょうか。山谷は、日雇い労働者が職を求めて、宿を求めて集まる場所でした。安価な簡易宿泊所が軒を並べていたので「ドヤ街」と呼ばれた山谷。1964年の東京オリンピックによる建築需要の爆増などで、全国から職を求めて集まってきた労働者たち。そんな山谷も、徐々に治安が良くなり、安価な宿を求める海外からの観光客なども増えていいて、風景はすっかりと変わってしまった、と言います。
僕ら世代で思い出すのはやはり「あしたのジョー」でしょう。「泪橋」の下の丹下ジムで、ジョーは育てられました。
ここは「泪橋」交差点。ここにかつて川が流れ、その北側には小塚原の刑場。なので、ここに架かっていた橋が「泪橋」と呼ばれるようになったのでした。この向こうが、山谷。
実は。昨日一昨日と泊まってたのは、山谷のど真ん中。一応、ビジネスホテルね。いや、泊まるコトになったのは偶然やけど、貴重で楽しい体験をさせて頂きました。長くなるけど、あまりに楽しかったので、書かせて頂きます。
昨日、三越日本橋本店の催事からホテルへと戻ってました。南千住の駅から南へ。明治通りを過ぎると、そこは台東区。まさに、山谷。その道沿いに「泪橋ホール」というあけっぴろげな喫茶店というか居酒屋というか、不思議な佇まいのお店があり、ついつい引き込まれてしまったのでした。
最初は、常連のおじさまが2人。静かに飲んでいたのですが、徐々に打ち解けてきました。高知から来た、と言うと、一人のおじさまがG友会とN山K正の話を始めました。お店を切り盛りするおばさまの話では、今は足を洗っているそうですが、そういった方でした。山一戦争のときは神戸にずうっと詰めて大変だった、といった話をしてくれるおじさま。
そこに、とても声量の大きいおばさまと、「先生「と呼ばれる無口なおじいさまと、上品なおばあさまが来店。声量のとても大きなおばさまは、何度も出禁になってるけど、いつもいつもやって来るんだそう。
その時点で、僕は、そのおばさま達席から離れた奥の席へと招かれます。会話が聞こえないので。そして、カオスが始まりました。
実はそのお店、週末はライブやったりする、アートな方々も集まるお店だったのでした。あのカルメンマキさんもライブしたりするんだそう。すごい。SAXの林栄一さんも来るそう。なかなかすごい。
昨夜は、ミニスカートにタンクトップやけど、筋骨隆々でうっすら髭が生えたお姉様?も来店して歌い始め、もう、何がなんだか。
店主のおばさまは気さくで、よそ者の僕に色々と気を遣ってくれました。三越の話をすると、店主や常連さんたちが、「この辺の者は日本橋の三越なんか入れないからね。入店しようとしたらブザーが鳴っちゃうから」などとおっしゃってるのが楽しかった。
そんなこんなで焼酎を飲みながら夜は更ける。
「今はこんなに静かになったけど、以前は、道路で寝てる人とかいっぱい居たからねー。」
僕の泊まってるホテルのことも「今はビジネスホテルです、みたいな顔してるけど、あそこも以前はドヤだったののよ。」
なるほど。
ちなみにそのホテル、部屋は3畳で、自分で布団敷きます。トイレ、風呂、洗面所は共同。チェックアウトの際に、部屋の外に掛け布団とシーツを出していかんといかんシステム。納得しました。
ついうっかり入ったお店で、とても貴重な体験をしてしまった山谷の夜。そうそう。今もドヤは残ってて、一泊2500円なんだそう。世の中、知らないコトだらけ。
さあ、そろそろ仕事を始めんといけません。充電は、たっぷりだ。